記憶に残る昭和のCMには必ずヒット曲が付きものだった。特に頻繁に目にした化粧品会社のCMは、時代をリードし秀逸だった。
70年代後半から80年代、2大メーカーの資生堂とカネボウ化粧品(以下カネボウ)はオーディションで選ばれたモデルや旬の女優、大胆なキャッチコピー、新鮮なキャンペーンソングで華々しく競い合っていた。商品をイメージによって差別化しようとしていたのだろう。
その先駆けとなったのは、資生堂の1976年(昭和51)、小椋佳の「揺れるまなざし」と、これが本格デビューとなった真行寺君枝による秋のキャンペーン「ゆれる、まなざし」だろう。16歳とは思えない真行寺君枝のミステリアスな雰囲気が印象的だった。小椋佳の「揺れるまなざし」も繊細な言葉選びと癒されるメロディーで真行寺の美しさを引き立てていた。小椋は付き合いのあった資生堂の宣伝担当者からの依頼で「揺れるまなざし」をCM用に制作したが、曲も大ヒットした。その後大手化粧品会社は、季節ごとに商品とイメージソングでキャンペーンを展開する販売方法がとられるようになった。春は新卒者をターゲットにした口紅、夏はファンデーション、秋はアイシャドーのようなメイクアップ商品、冬は基礎化粧品といったサイクルを基調にしたようだ。
77年春、資生堂はピュアな色の口紅「クリスタルデュウ」をキャンペーン商品にした。イメージソングは尾崎亜美の「マイ・ピュア・レディ」で、女優の小林麻美が登場する。ショートヘアの小林麻美が双眼鏡をもって春の海で遊ぶ姿が可憐だった。19歳の尾崎亜美も一躍注目を浴びた。
小林麻美といえば、翌年冬、資生堂の基礎化粧品「サイモンピュア」のキャンペーンにも起用された。南こうせつの「夢一夜」が流れ、和服姿の小林の儚げで切ない表情が忘れられない。阿木燿子の詞は恋する女性の心情をよく表していた。
77年夏、カネボウのキャンペーンガールとなった夏目雅子は「Oh!クッキーフェイス」のCMで注目を集めた。小麦色の伸びやかな肢体、極小のビキニで砂浜を駆け抜ける姿は、まぶしいほど美しかった。その後多くの映画やドラマに出演、「西遊記」の三蔵法師の役でさらに人気を博した。健康美そのものの夏目雅子が病魔に冒され、27歳で夭逝するとは誰が考えただろう。このときのCMディレクターが、夫となる伊集院静だった。
78年春の資生堂の南沙織の「春の予感-I’ve been mellow-」も忘れがたい。この曲も尾崎亜美の作詞作曲だが、きらきらと輝くようなピアノの旋律と南沙織の透明感あるヴォーカルが春のイメージそのもの。モデルも南沙織でよかったのではと思うが、南はこの年24歳の誕生日に、歌手活動にピリオドを打ち学業に専念すると発表。そして翌年写真家の篠山紀信と結婚した。
何といっても忘れられないのが、78年夏の資生堂とカネボウの決戦だ。どちらも「夏」を強烈に打ち出した。資生堂は、矢沢永吉の「時間よ 止まれ」。対するカネボウは、サーカスの「Mr.サマータイム」である。