矢沢永吉の起用はそれまでの「銀座・資生堂」という上品なイメージとは変わって、異色のタイアップと話題を呼び、スケールも大きかった。山川啓介の詞が先に決まっており、「人の詞は歌いたくない」と固辞した矢沢だったが、彼の代表曲になったと言っていいだろう。「時間よ 止まれ まぶしい肌に。」をキャッチコピーに、一流のクリエーターたちが集まった。レコーディングには、まだ無名だった坂本龍一、高橋幸宏、サディスティック・ミカ・バンドの後藤次利、パーカッションには斉藤ノブ……と華々しいミュージシャンが結集した。
対するカネボウは、キャンペーンモデルに17歳の服部まこ(現・真湖)を起用。服部にとっては、デビュー作だったが堂々たるもので、小麦色の肌、スラリと伸びた脚、抜群のスタイルの服部が、どこかの島で黒人の男性に囲まれ、白い網の水着で踊っている姿は強烈だった。
映像と一緒に男女4人のグループ「サーカス」が歌う「Mr.サマータイム」を初めて聴いたとき、コーラスがあまりにも美しく鳥肌が立つ思いだった。当時はハーモニーの魅力と、4人の醸し出す雰囲気が好きで、歌詞の意味も深く考えず、繰り返し聴いていた。あとになって歌詞を読み返してみると、突然現れた男性の誘惑に翻弄され過ちを犯してしまった「私」が、「あの夏の日」を振り返るという内容で、切ない大人の女性の心情を歌い上げていたのだ。
サーカスの「Mr.サマータイム」は、2枚目のシングルとして、78年3月25日にアルファー・レコードからリリースされた。フランスのシンガーソングライター、ミッシェル・フュガンの「愛の歴史(Une Belle Histoire)」を竜真知子が日本語訳し、編曲は「ミュージックフェア」など数々のテレビ番組の音楽を手がけたジャズピアニストの前田憲男。日本人も好むフランスの楽曲を選んだのも粋だ。当時のサーカスは、叶正子、弟の高と央介、そして母方のいとこの卯月節子という血縁関係にあるメンバーで構成されていた。ヒットとともに歌番組の常連になっていったが、都会的で洗練された二人の女性ヴォーカルが素敵で、憧れのお姉さんになった。
同年8月中には100万枚を突破するミリオンセラーとなり、大晦日の「第29回紅白歌合戦」にも初出場を果たした。翌年リリースの「アメリカン・フィーリング」は、日本航空のキャンペーンソングに採用されこちらも大ヒットだった。現在は叶高、正子に加わり、オーディションで合格した叶ありさ(高の長女)と吉村勇一がメンバーだが、4人の洗練されたハーモニーは変わらず、「We Love harmony!」を合言葉に全国各地でコンサートツアーを開催している。89年には「ミスター・サマー・タイム(’89バージョン)」としてメロディーを大幅にアレンジしたセルフカバー版がアルバム『FASCINATION』に収録された。
2大メーカーの他にも、ポーラ化粧品の79年春のCMとして採用された桑江知子の「私のハートはストップモーション」など、ここには書ききれないほどヒット曲が生まれている。
時代が変わり、80年代まで続いたイメージソングを使った戦略は次第に消えていった。キャンペーンには多額の費用がつぎ込まれ、多くの人が携わり一大プロジェクトが完成する。それだけに後世に残る名曲も生まれたのだろう。化粧品のCMで季節を感じていたあの頃が懐かしい。
文:黒澤百々子 イラスト:山﨑杉夫