小室だけでなく、大江千里、後藤次利、小林武史、岡村靖幸、高校の先輩でもある清水信之、佐橋佳幸なども渡辺へ楽曲を提供、渡辺は自らも作詞作曲を手がけるようになる。今回一連の曲を聴いてみたが、心地よい曲がたくさんあった。例えば、「悲しいね」(87年、作詞渡辺美里、作編曲小室哲哉)は、最初のイントロから曲に引き込まれ、ハスキーながらパンチがあり曲全体にメリハリがある。特に歌詞の「一番の勇気はいつの日も 自分らしく素直に生きること」は渡辺の人生観とも言うべきメッセージが素直な歌詞で綴られ、こちらも名曲だ。
「卒業」(91年、渡辺美里作詞、小室哲哉作曲)は、「卒業できない恋もある」の歌詞にグッと来た。一語一語丁寧に発音して聴きやすく、桜の花びらが舞う風景が浮かんでくる。「My Revolution」とはまた違った渡辺の幅の広さが伝わってくる名曲だ。
「悲しいボーイフレンド」(85年、作詞作曲大江千里)、「10years」(88年、作詞渡辺美里、作曲大江千里)、「夏が来た!」(89年、作詞渡辺美里、作曲大江千里)なども渡辺の強さだけではない優しさが伝わってきた。魅力的な曲を歌いこなす歌唱力を兼ね備えた渡辺だからこそ野外ライブでも観客を沸かせたのだろう。
所沢の西武ライオンズ球場でのスタジアムライブは、86年から2005年まで20年連続公演という前人未到の記録を達成した。全盛期には4万枚のチケットが完売するほどだった。高校時代渡辺がラグビー部のマネージャーをしていたことから、ライブのタイトルも「KICK OFF」にはじまり、「NO SIDE」で終わった。06年からは、「美里祭り」のタイトルで毎年様々な都市でライブを続けていた。しかし、コロナ禍でライブができない状態になり、家で過ごす時間が多くなると、ベランダ菜園やお気に入りのワンピースをリメイクして小物づくりに勤しんでいたことをトーク番組で語っていたが、渡辺美里の知られざる一面を知り、抱いていたイメージが変わった。
そして今年は歌手生活40周年の記念の年で「渡辺美里 40周年BITTER☆SWEET ULTRA POP TOUR」が全国で開催される。パワーアップした渡辺の姿がみられるに違いない。
「My Revolution」は、作詞川村真澄、作曲小室哲哉によって作られた曲だが、このコンビでは、沢口靖子「Follow me」(88)、宮沢りえ「ドリーム ラッシュ」(89)などの楽曲も生み出している。今や女優としての確たる地位を築いている二人だが、ドーナツ盤を出していたとは露ほども知らなかった。同じように80年代後半につくられた曲であっても、一方は不朽の名作になり、一方は埋もれてしまうこともあるのだ。そして同時期に華々しくデビューしたアイドルのそれぞれの40年も千差万別である。
渡辺美里は、浮ついたスキャンダルもなく清々しい生き方をしている女性だと改めて好感を持ったのである。
文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫