一番の歌詞で、「愛はこんなに辛いものなら」と呟く主人公の女性は、二番では「愛がこんなに悲しいのなら」と、心の痛みを告白する。「は」が「が」に変化しただけで、そこに、恋人の心変わりを体験した主人公の失恋が具体的になっているように感じさせられた。そして、松本隆の歌詞は「九月の雨は冷たくて」と言いながら「九月の雨は優しくて」と、主人公に寄り添いもしているように感じさせてくれる。
ピアノで始まる、どこかアバの「ダンシング・クイーン」を思わせる編曲も手がけた筒美京平の印象的なイントロ。そして、これは、筒美京平の連載対談を担当していた折に直接ご本人から聞いたことだが、ストリングスはポール・モーリアを意識したアレンジになっている。そして、最終楽章での心地良い転調。筒美京平は、当代きっての作曲家であり、編曲家であったことを、いまさらながら実感する。男性と女性の言葉をまるでデュエット曲のように切り替えて歌うという画期的な構成で日本歌謡史に刻まれる、太田裕美最大のヒット曲「木綿のハンカチーフ」もすばらしいが、「九月の雨」もまた、松本隆と筒美京平という二つの才能が誕生させた名曲である。
太田裕美は、「木綿のハンカチーフ」で、76年にNHK紅白歌合戦に初出場を果たし、翌年の出場時に歌ったのが「九月の雨」だった。紅白には通算5回出場しているが、そのうち4回の白組対戦相手は、同じ年に初出場した新沼謙治だった。太田裕美と同時代の歌い手を紹介すると、太田裕美が新人賞を受賞した75年の日本レコード大賞で、同じく新人賞に輝いたのは岩崎宏美、細川たかし。細川は最優秀新人賞を受賞した。レコード大賞は布施明の「シクラメンのかほり」だった。また、太田裕美と同じく76年の紅白歌合戦初出場組には、研ナオコ、伊藤咲子、あおい輝彦、「ビューティフル・サンデー」の田中星児らがいる。
9月を歌った曲は、どこか切なくもの悲しいが、僕には、澄み切った空気のようなすがすがしさも味わわせてくれてもいることも、「九月の雨」で感じられたのである。
文=渋村 徹