その冬、こたつを出してもらえる日が待ち遠しかった子供時代。家族全員がこたつを囲む風景は、子供心にもなんとも平和な絵であった。こたつの横には火鉢が置かれ、鉄瓶が湯気を立てていた。正月の雑煮の餅は、火鉢に焼き網をのせて焼いた。こたつの上には定番のみかん、トランプ遊びなどにも、こたつを囲むと父や母も参加してくれる。こたつは、家族の距離をいつもより縮めてくれたような気がする。ただ、一旦こたつに入ると出るのが億劫。誰かが腰を上げるのを待って、用事を頼む。こたつには、昭和の冬の温かい思い出が宿る。
昭和の風景 昭和の町 2013年1月1日号より
こたつの時代
家のなかで一番暖かな場所
文=川本三郎
こたつを囲んで温かい家族団欒
「火(炬)燵」と書いて「こたつ」。
いまではもう懐かしい暖房具になる。どういうものか知らない若い世代も多いのではないだろうか。
文化勲章を受章した昭和の画家、片岡球子に「炬燵」(昭和十年)という作品がある。
大きなこたつに母親と、女学生らしい娘があたっている。母親は編物をし、娘は本を読んでいる。冬の夜の穏やかなひととき。こたつの温かさが伝わってくる。母親も娘も着物姿なのはいかにも昭和の家族風景。
明治末に作られ、いまも歌い継がれている唱歌「雪」に「猫はこたつで丸くなる」とあるように、こたつは家のなかでもっとも暖かい場所だった。一家団欒の象徴だった。
夫の足袋をこたつで温める妻の何気ない愛情
こたつには置きごたつと掘りごたつがある。置きごたつは火鉢から、掘りごたつは囲炉裏から生まれた。広く普及してゆくのは明治なってからだろう。上に掛ける毛織物の生産が増えたことが大きい。
私の子供時代、東京の家族でも冬は火鉢とこたつが欠かせなかった。燃料のたどんをおこすのは子供でもできるお手伝いだった。
庶民の家の居間には、冬になるとどこでもこたつが置かれる。東京の下町、荒川沿いに住む庶民の暮しを描いた昭和二十八年(1953)公開の映画、五所平之助監督『煙突の見える場所』では、上原謙と田中絹代の夫婦の家にこたつがある。
ちなみに、木枯しの吹き始める頃、その冬はじめてこたつを出すことを「こたつ開き」といった。
冬の寒い日、夫の上原謙が勤めから家に帰ってくると真先にこたつにもぐりこむ。コートのままなのは、こたつは身体が温まるまで背中が寒いため。
奥さんの田中絹代がここで面白いことをする。こたつのなかから足袋を取り出して「はい」と夫に渡す。足袋をこたつで温めていた。奥さんの何気ない愛情が出ている。この時代、男は背広で勤めに出て、家に帰ると和服に着替えたものだった。
この夫婦は二階を若い男女、芥川比呂志と高峰秀子に貸している。恋人どうしとは言えないが仲がいい。部屋は障子を隔てて別だがこたつは共有している。安月給の身だからだろう。二人仲良くこたつに入る。この二人、最後はどうやら一緒になるらしい。こたつが愛情を温めた。