夕暮れどきの懐かしい駅前風景
昭和の風景 昭和の町 2014年10月1日号より
小学生のころ、急な雨に放課後の学校で雨宿りしていると母親が傘を持って学校までお迎えにきてくれる。学校からの帰り道は、母と子の時間だ。そして、夕方、夕餉の仕度で忙しい母に代わって今度は子供たちが傘やレインコートを持って最寄りの駅やバス停に、勤めから帰ってくる父親をお迎えにいく。雨の家路をたどるとき、そこに父と子の時間があった。駅前にはタクシーが並び、コンビニでビニール傘が売られる現代、お迎えも必要のないものとなってきている。雨の日のお迎えが日常として見られるのは「サザエさん」のなかだけかもしれない。放送中のアニメーションでも「雨の日のお迎え」という回があった。
文=川本三郎
〽雨 雨 降れ降れ 母さんが 蛇の目でお迎え うれしいな。
誰もが一度は歌ったことがある童謡「雨降り」(北原白秋作詞、中山晋平作曲)だが、現在では、雨の日の「お迎え」というものが次第に減ってきている。
「母さん」が忙しくなってきているし、廉価なビニール傘や折りたたみ傘が普及したためだろう。歌詞にある「蛇の目」という和傘も、いまでは消えつつある。
勤め帰りの父親を奥さんや子供が傘を持ってお出迎え
向田邦子は、少女時代(昭和十年代)、夕方になって雨が降り出した時、帰宅する父親を迎えに、傘を持って駅に行ったとエッセイ(『霊長類ヒト科動物図鑑』)で書いている。
当時、向田家は東京の新しい郊外住宅地、中目黒に住んでいた。最寄りの駅は東横線の祐天寺駅。
「夕方になって雨が降り出すと、傘を持って駅まで父を迎えにゆかされた。今と違って駅前タクシーなど無い時代で、改札口には、傘を抱えた奥さんや子供が、帰ってくる人を待って立っていた」
昭和戦前期の郊外住宅地で日常的に見られた、小市民の暮しのひとこまである。夕方になって雨が降り始めると、勤めから戻る父親が雨に濡れないようにと、母親や子供が傘を持って駅に迎えにゆく。
「駅前タクシーなど無い時代」とあるのもなるほどと思う。タクシーの普及も、「お迎え」風景が消えた一因になっている。
当時、杉並区の荻窪に住んだ劇作家、伊馬鵜平(いまうへい=戦後、春部(はるべ)と改名)の昭和十年(1935)の作品『春の出迎え』に、雨が降り出した日の夕方の中央線、荻窪駅の様子が、こんなふうに描かれている。
「今日の天気予報はよくあたって、お昼過ぎからポツリポツリと雨が降ってきた。さあ、こうなると郊外の荻窪駅なんか大変である。女中さんと若奥さんや子供たちで黒山の人だかり。(略)。それぞれお勤めからお帰りの旦那さまや御主人やお父さんやを、傘を持って出迎えに来ているのである」
この文章にある「旦那さま」「御主人」という言葉に、現代の女性は反発するかもしれない。「お迎え」の光景が見られなくなった一因は女性が強くなったこともあるだろう。