本文で川本三郎さんが紹介する「花嫁」や「どうにかなるさ」のほかにも日本の流行歌には、夜行列車や夜汽車というフレーズがよく使われている。
石川さゆり「津軽海峡・冬景色」、八代亜紀「愛の終着駅」、欧陽菲菲「夜汽車」。
実らぬ恋の思いを胸に、あるいは恋に別れを告げ、一人で夜行列車に乗り込む女たち。
『男はつらいよ』の寅さんと同じように窓の外に見える家々の灯りを見て、涙を流しただろう。
どこかうつむき加減の人生ドラマを乗せて漆黒の風景を走る夜行列車。
夜汽車という響きには、日本人の心をくすぐる情感があった。
夜行列車
~日本人の心をくすぐる夜汽車という旅情~
文=川本三郎
昭和の風景 昭和の町 2017年10月1日号より
夜汽車ということばが生きていた70年代
(花嫁は夜汽車にのって 嫁いでゆくの……。)
一九七一年にヒットした、はしだのりひことクライマックスの「花嫁」。その前年、一九七〇年に、かまやつひろしが歌った「どうにかなるさ」には、(今夜の夜汽車で 旅立つ俺だよ……)とあった。
夜汽車に乗って嫁いでゆく。夜汽車に乗って遠くへ旅に出る。七〇年代には、まだ「夜汽車」という言葉が生きていた。歌のなかで哀歓を持って使われた。
実際、そのころまでは、全国の鉄道には夜汽車(夜行列車)が走っていた。ふらっと夜汽車に乗って旅に出ることが出来た。
それが、新幹線、飛行機の普及と共に、次第に消えていった。高度経済成長期に活躍し、親しまれた青い色の寝台特急「ブルートレイン」も二〇一五年に、姿を消した。
清張ミステリに登場したブルトレ第一号
松本清張の『点と線』は月刊誌「旅」に連載されたあと、一九五八年に光文社から単行本が出版され、大ベストセラーになった。このミステリは、例の「東京駅の四分間の空白」のトリックが話題になったが、トリックの場面で、十五番線のホームに入線していたのは、博多行きの寝台特急「あさかぜ」。『点と線』の連載が始まった一九五七年の前年から運行されたブルトレの第一号である。
松本清張は、新しく登場した寝台特急をさっそく、ミステリに取り入れた。さすが。
松本清張は高度経済成長期、昭和三十年代に次々に力作を発表していった。そのために、作品にはよく夜行列車が登場する。
『ゼロの焦点』(単行本は一九五九年)では、ヒロインの夫が、金沢に出張するために上野駅から夜行列車に乗る(そして、金沢で失踪してしまう)。『砂の器』(一九六一年)では、東京の二人の刑事が、殺人事件の捜査のため秋田県の亀田という町に行く時に、上野駅から秋田行きの夜行特急「羽黒」に乗る。
短篇『張込み』(一九五五年)では、やはり殺人事件を追う二人の刑事が、九州の佐賀に行くために、横浜駅から下りの夜行に乗る。
『ゼロの焦点』は一九六一年に松竹で野村芳太郎監督、橋本忍・山田洋次脚本で映画化された。
ヒロインの久我美子が、出張先の金沢で失踪した夫の南原宏治の行方を追って、東京から金沢に向かう。上野駅から、上越・北陸線まわりの金沢行き「北陸」に乗る。
四人掛けの席には付添い役の、夫の同僚(野々浩介)が座る。この同僚は旅慣れているらしく、座席を確保するとすぐにボストンバッグから新聞紙に包んだスリッパを取り出して、靴と履きかえる。
さらには、空気枕を取り出し、これをふくらませて椅子の肘掛けのところに置き、さっそく横になって眠る(目の前に美しい久我美子がいるというのに! 気取らないおじさんといえようか)。
空気枕で思い出すのは、小津安二郎監督の『東京物語』(一九五三年)。尾道の両親(笠智衆、東山千栄子)が、東京に行くために旅仕度をする。
笠智衆はさかんに奥さんの東山千栄子に「空気枕をどこに入れたか」と聞く。この時代、夜行列車での長旅には、空気枕が必需品だったようだ。とくに老人にはそうだったろう。
東山千栄子がボストンバッグに荷物を入れてゆくのも懐かしい。この時代、旅行というとボストンバッグだった。