夜行列車の中のさまざまな人間ドラマ
夜行列車には恋人たちも乗る。
成瀬巳喜男監督の『乱れる』(一九六四年)では、美しい未亡人、高峰秀子が、亡夫の家(静岡県清水市の酒屋)に居づらくなり、故郷の山形県新庄へ帰ることになる。
上野駅から北に向かう奥羽本線の夜行に乗る。彼女を慕う義弟の加山雄三が、あとを追って同じ車両に乗り込む。車内は混んでいて並んで座れない。離れた席しかない。
しかし、東北に入って車内は少しずつ空いてくる。そのたびに加山雄三は席を替えて、高峰秀子に近づいてゆく。この接近の過程が、年上の女性への思慕がこもっていて愛らしく、ユーモラス。夜汽車は恋のよき舞台になった。
夜汽車では偶然、隣り合わせた者どうしが親しくなる。
菊池寛原作、木村恵吾監督のメロドラマ『心の日月(にちげつ)』(一九五四年)では、若尾文子が恋人の菅原謙二を追って、岡山から東京行きの夜行列車に乗る。
隣り合わせたのは、粋な水商売風の女、水戸光子。若尾文子が一人旅で心細そうなのを見て、気さくに話しかけるだけではなく、カバンのなかから、次々にチョコレート、ミカン、サンドイッチと取り出すのが愉快。夜行列車の中では、なんでもないものがおいしい。非日常の空間だからだろう。
寅さんを泣かせる夜行列車の寂しい旅情
現在、数少なくなった寝台夜行列車に東京駅から、出雲、四国方面に行く「サンライズ瀬戸・出雲」がある。夜の十時に、東京駅を出て、朝、岡山駅に着く(駅のメロディ、「瀬戸の花嫁」が迎えてくれる)。岡山で出雲に向かう列車と、高松に向かう列車に分かれる。
恩田陸のミステリ『三月は深き紅(くれない)の淵を』(講談社、一九九七年)では、東京で編集者をしている四十代と三十代の二人の女性が、思い立って出雲へ旅に出る。東京駅発の夜行に乗る。女性どうしの旅。
働く女性たちの夜行列車の旅は、酒がないと始まらない。先輩の女性は、そうとうな酒好き。酒のつまみを大量に持ち込む。ビールだけは冷えたのがいいと、発車間際にロング缶を仕入れてくる。
「いやあ、実はさあ、今日のことけっこう楽しみにしてたのよ。夜行列車で山陰へ、なんて修学旅行みたいじゃない?」
働く女性たちは夜行列車で酒を楽しむ。女性の時代ならではのいい光景だ。
夜行列車は早くからあった。一八八九年(明治二十二年)に、東海道鉄道(のちの東海道本線)の新橋―神戸間が全通した時、上り下りの夜行列車(約二十時間かかった)が走ったのが最初。
鉄道を描いた有名な絵に、赤松凜作(あかまつりんさく)の『夜汽車』(明治四十三年)がある。夜汽車の三等列車に乗った乗客たちを描いている。
眠りこんだ子供を膝に抱えた女性。キセルに火をつける老人。立って車窓の風景を眺める老人。向かいあって話をする二人の男。夜汽車に乗り合わせた人々を描いている。三等車にくつろぐ庶民の様子がよく出ている。知らない者どうしが乗り合わせ、いっときのくつろぎを得る。
山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズの第十一作『寅次郎忘れな草』(73年)では、渥美清演じる寅が、とらやの面々に、珍しくしんみりと夜行列車の寂しい旅情を語る。
夜汽車のなかで少しばかりの乗客が眠ってしまったあと、寅一人が眠れない。窓の外を見ると、遠くにぽつん、ぽつんと灯りが見える。
「ああ、あんなところにもひとが暮しているのか、汽車の汽笛がボーッ、ピーッ、そんなとき、そんなときよ、ただもう訳もなく涙がぽろぽろこぼれてきやがる」
こんな「涙」も、いまではもう見られなくなってくる。
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かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5 冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあり』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつらいよ」を旅する』『老いの荷風』など多数の著書がある。