22.11.14 update

流行歌にもよく使われる「夜汽車」という響きには、日本人の心をくすぐる情感がある

夜行列車の中のさまざまな人間ドラマ

 夜行列車には恋人たちも乗る。
 成瀬巳喜男監督の『乱れる』(一九六四年)では、美しい未亡人、高峰秀子が、亡夫の家(静岡県清水市の酒屋)に居づらくなり、故郷の山形県新庄へ帰ることになる。
 上野駅から北に向かう奥羽本線の夜行に乗る。彼女を慕う義弟の加山雄三が、あとを追って同じ車両に乗り込む。車内は混んでいて並んで座れない。離れた席しかない。
 しかし、東北に入って車内は少しずつ空いてくる。そのたびに加山雄三は席を替えて、高峰秀子に近づいてゆく。この接近の過程が、年上の女性への思慕がこもっていて愛らしく、ユーモラス。夜汽車は恋のよき舞台になった。
 夜汽車では偶然、隣り合わせた者どうしが親しくなる。
 菊池寛原作、木村恵吾監督のメロドラマ『心の日月(にちげつ)』(一九五四年)では、若尾文子が恋人の菅原謙二を追って、岡山から東京行きの夜行列車に乗る。
 隣り合わせたのは、粋な水商売風の女、水戸光子。若尾文子が一人旅で心細そうなのを見て、気さくに話しかけるだけではなく、カバンのなかから、次々にチョコレート、ミカン、サンドイッチと取り出すのが愉快。夜行列車の中では、なんでもないものがおいしい。非日常の空間だからだろう。

寅さんを泣かせる夜行列車の寂しい旅情

 現在、数少なくなった寝台夜行列車に東京駅から、出雲、四国方面に行く「サンライズ瀬戸・出雲」がある。夜の十時に、東京駅を出て、朝、岡山駅に着く(駅のメロディ、「瀬戸の花嫁」が迎えてくれる)。岡山で出雲に向かう列車と、高松に向かう列車に分かれる。
 恩田陸のミステリ『三月は深き紅(くれない)の淵を』(講談社、一九九七年)では、東京で編集者をしている四十代と三十代の二人の女性が、思い立って出雲へ旅に出る。東京駅発の夜行に乗る。女性どうしの旅。
 働く女性たちの夜行列車の旅は、酒がないと始まらない。先輩の女性は、そうとうな酒好き。酒のつまみを大量に持ち込む。ビールだけは冷えたのがいいと、発車間際にロング缶を仕入れてくる。
「いやあ、実はさあ、今日のことけっこう楽しみにしてたのよ。夜行列車で山陰へ、なんて修学旅行みたいじゃない?」
 働く女性たちは夜行列車で酒を楽しむ。女性の時代ならではのいい光景だ。

 夜行列車は早くからあった。一八八九年(明治二十二年)に、東海道鉄道(のちの東海道本線)の新橋―神戸間が全通した時、上り下りの夜行列車(約二十時間かかった)が走ったのが最初。
 鉄道を描いた有名な絵に、赤松凜作(あかまつりんさく)の『夜汽車』(明治四十三年)がある。夜汽車の三等列車に乗った乗客たちを描いている。
 眠りこんだ子供を膝に抱えた女性。キセルに火をつける老人。立って車窓の風景を眺める老人。向かいあって話をする二人の男。夜汽車に乗り合わせた人々を描いている。三等車にくつろぐ庶民の様子がよく出ている。知らない者どうしが乗り合わせ、いっときのくつろぎを得る。

画家・赤松麟作(1878 ~ 1953)が23歳のころ、明治34 年(1901 年)に制作された『夜汽車』。油彩画の新派団体・白鳥会に出品して「白鳥賞」を受けた出世作。当時、赤松は三重県津市の中学校の教師だった。3年後には大阪朝日新聞社の挿絵記者になる。写真提供:東京藝術大学大学美術館


 山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズの第十一作『寅次郎忘れな草』(73年)では、渥美清演じる寅が、とらやの面々に、珍しくしんみりと夜行列車の寂しい旅情を語る。
 夜汽車のなかで少しばかりの乗客が眠ってしまったあと、寅一人が眠れない。窓の外を見ると、遠くにぽつん、ぽつんと灯りが見える。
「ああ、あんなところにもひとが暮しているのか、汽車の汽笛がボーッ、ピーッ、そんなとき、そんなときよ、ただもう訳もなく涙がぽろぽろこぼれてきやがる」
 こんな「涙」も、いまではもう見られなくなってくる。
JASRAC 出1711113-701

かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5 冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあり』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつらいよ」を旅する』『老いの荷風』など多数の著書がある。

1 2

映画は死なず

新着記事

  • 2024.12.03
    きわどい熟年女性の性愛表現から母の優しさまでフラン...

    『山逢いのホテルで』見どころ

  • 2024.12.03
    東京ステーションギャラリー「生誕120年 宮脇綾子...

    応募〆切: 1月20日(月)

  • 2024.12.02
    橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦・三田明の青春歌謡四天王...

    松竹青春歌謡映画のヒロイン 尾崎奈々

  • 2024.12.02
    大注目のボートレーサーが集結した「2025年 BO...

    応募〆切:12月20日(金)

  • 2024.11.28
    第5回【東宝映画スタア☆パレード】酒井和歌子&内藤...

    文=高田雅彦

  • 2024.11.28
    クリスタルキングが歌唱した「大都会」の唯一無二のハ...

    クリスタルキング「大都会」

  • 2024.11.27
    第55回【萩原朔美 スマホ散歩】いまどきのカバン考...

    見事な自己表現!

  • 2024.11.25
    クリスマス・イブに手塚治虫の歴史的名作が蘇る!映画...

    応募〆切:12月15日(日)

  • 2024.11.21
    「星影のワルツ」「北国の春」という2つの大ヒット曲...

    千昌夫「夕焼け雲」

  • 2024.11.20
    能登の子どもたちや被災者を、美しい音楽で励ましてく...

    被災者に勇気を与えるウイーン・フィルの活動

特集 special feature 

わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の  「芸業」

特集 わだばゴッホになる ! 板画家・棟方志功の 「芸業...

棟方志功の誤解 文=榎本了壱

VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いなる遺産

特集 VIVA! CINEMA 愛すべき映画人たちの大いな...

「逝ける映画人を偲んで2021-2022」文=米谷紳之介

放浪の画家「山下 清の世界」を今。

特集 放浪の画家「山下 清の世界」を今。

「放浪の虫」の因って来たるところ 文=大竹昭子

「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

特集 「名匠・小津安二郎」の生誕120年、没後60年に想う

「いい顔」と「いい顔」が醸す小津映画の後味 文=米谷紳之介

人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

特集 人はなぜ「佐伯祐三」に惹かれるのか

わが母とともに、祐三のパリへ  文=太田治子

ユーミン、半世紀の音楽旅

特集 ユーミン、半世紀の音楽旅

いつもユーミンが流れていた 文=有吉玉青

没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、展覧会「萩原朔太郎大全」の旅 

特集 没後80年、「詩人・萩原朔太郎」を吟遊す 全国縦断、...

言葉の素顔とは?「萩原朔太郎大全」の試み。文=萩原朔美

喜劇の人 森繁久彌

特集 喜劇の人 森繁久彌

戦後昭和を元気にした<社長シリーズ>と<駅前シリーズ>

映画俳優 三船敏郎

特集 映画俳優 三船敏郎

戦後映画最大のスター〝世界のミフネ〟

「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の流行歌 

昭和歌謡 「昭和歌謡アルバム」~プロマイドから流れくる思い出の...

第一弾 天地真理、安達明、久保浩、美樹克彦、あべ静江

故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・木下惠介のこと

特集 故・大林宣彦が書き遺した、『二十四の瞳』の映画監督・...

「つつましく生きる庶民の情感」を映像にした49作品

仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監督の信念

特集 仲代達矢を映画俳優として確立させた、名匠・小林正樹監...

「人間の條件」「怪談」「切腹」等全22作の根幹とは

挑戦し続ける劇団四季

特集 挑戦し続ける劇団四季

時代を先取りする日本エンタテインメント界のトップランナー

御存知! 東映時代劇

特集 御存知! 東映時代劇

みんなが拍手を送った勧善懲悪劇 

寅さんがいる風景

特集 寅さんがいる風景

やっぱり庶民のヒーローが懐かしい

アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

特集 アート界のレジェンド 横尾忠則の仕事

60年以上にわたる創造の全貌

東京日本橋浜町 明治座

特集 東京日本橋浜町 明治座

江戸薫る 芝居小屋の風情を今に

「芸術座」という血統

特集 「芸術座」という血統

シアタークリエへ

「花椿」の贈り物

特集 「花椿」の贈り物

リッチにスマートに、そしてモダンに

俳優たちの聖地「帝国劇場」

特集 俳優たちの聖地「帝国劇場」

演劇史に残る数々の名作生んだ百年のロマン 文=山川静夫

秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

特集 秋山庄太郎 魅せられし「役者」の貌

役柄と素顔のはざまで

秋山庄太郎ポートレートの美学

特集 秋山庄太郎ポートレートの美学

美しきをより美しく

久世光彦のテレビ

特集 久世光彦のテレビ

昭和の匂いを愛し、 テレビと遊んだ男

加山雄三80歳、未だ青春

特集 加山雄三80歳、未だ青春

4年前、初めて人生を激白した若大将

昭和は遠くなりにけり

特集 昭和は遠くなりにけり

北島寛の写真で蘇る団塊世代の子どもたち

西城秀樹 青春のアルバム

特集 西城秀樹 青春のアルバム

スタジアムが似合う男とともに過ごした時間

「舟木一夫」という青春

特集 「舟木一夫」という青春

「高校三年生」から 55年目の「大石内蔵助」へ

川喜多長政 &かしこ映画の青春

特集 川喜多長政 &かしこ映画の青春

国際的映画人のたたずまい

ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

特集 ある夫婦の肖像、新藤兼人と乙羽信子

監督と女優の二人三脚の映画人生

中原淳一的なる「美」の深遠

特集 中原淳一的なる「美」の深遠

昭和の少女たちを憧れさせた中原淳一の世界

向田邦子の散歩道

特集 向田邦子の散歩道

「昭和の姉」とすごした風景

あの人この人の、生前整理archives

あの人この人の、生前整理archives
読者の声
Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial
error: Content is protected !!