本能的にお気に入りを見つける人
邦子は些細なことから父といい争 い、〝出ていけ〞〝出てゆきます〞となった。次の日一日でアパートを探し、猫 一匹だけ連れて移る。その日は東京オリンピックの初日であった。その住いが霞町、無意識のうちに選んだのは自分のテリトリーだった。邦子は動物的感覚が強い。〝猫かいな〞私はポツリつぶやいた。邦子は猫の嗅覚と身のこなしで散歩道をいつも風のように歩いた。霞町からよくでかけたソビエト大使館そばのボウリングの帰り道、 〝お腹空いた、何にしよう〞言葉とうらはらに足は「香妃園」に向かっている。
─「う」 は、うまいものの略である。
この抽斗をあけると、さまざまの切り抜きや、栞が入っている ─ 『霊長類ヒト科動物図鑑』より
気に入ると、かよいつめる。鳥そばがお目当て。腹具合、これはお金を含めての相談事。すべての支払は親分の邦子。邦子三十五歳、シナリオライター。まだ代表作もない。よく遊んでもらった。鳥そばもたくさんおごってもらった。両親への土産も心づけもあった。だがこの時、仕事がなく暇だった。おくびにも出さず、次なるステップの助走はしっかり、余裕のある面構え。私が幼すぎて読めなかったのかもしれな い。その事実を知ったのも姉がこの世を去ってからのことだった。
邦子はおっちょこちょい、野次馬根性大いにあり、よくいえば好奇心旺盛。自慢したがり屋でもある。霞町一押しの店も探さずにはいられない。いろんな時間帯に視察をする。インスピレーションを第一とするが、確認もおこたらない。行動は俊敏にして短時間、一人を好む。本人は気分よく鼻高々に案内するのを何よりの気分転換と思っている。〝お父さんに酒のおつまみを見繕うから持っていって〞案内されたのが「いわ田」鮮魚店。静かな路地を入ると、あたりに店はない。しもた屋風の店の前に三、四人の客。猫もゆうゆうと坐っている。風情のある、なんともいい眺め。
邦子は店はのぞかず、店の前の空地に立って、御主人の立居振舞をたのしげに見ている。この猫自慢まで私に聞かせる。せっかちで待つのが嫌いな人なのに、ここは特別な空間のようだ。御主人おすすめの品を包んでもらう。自分で選ぶのが常なのに、絶大なる信用で四季折々の魚のうまさを学ばせてもらう、そんな姿勢だった。霞町から表参道に転居する際、面倒みてもらえるか確認してから住いを決めた程のお気に入りだった。それは御子息の代になっても変ることはなかった。「男性鑑賞法」(雑誌「アンアン」の連載 一九七六~七七)に登場する岩田修さん、今の当主である。江戸前の魚のうまさ、刺身の美しさを少し解るきっかけをもらえたように思う、とは父と母の感想である。
─大通りから一本入った路地の、しもた屋風の目立たない店だが、何より品(シナ)がよく、家族だけでやっている商いも好きで、十年以上も前から魚はここと決めていた─ 雑誌「アンアン」連載〈男性鑑賞法〉より
同じ道の散歩でも行きと帰りでは観るもの、感じるもの、探すもの、見つけるもの、が違う。雨、風、暑さ、寒さ、光と影、あらゆる状況で変る不思議さ、面白さがある。一人歩きの自由さもいい。人とのかかわりのなかで思わぬ相乗効果もある。人であれ物であれ空間であれ、何がどうなるという想像を超えて出会えるかもしれない。そんなことを、姉と霞町から六本木を歩くことで気づかされたのかもしれない。それ以上に、歩くことはとても原形の行動、基本形、人を気持よく素直に大らかにする。姉がポツリ、ポツリ、ポロンと落した言葉にとても真実味がある。本音かもしれない。