代表作に「長岡の花火」がある。一九四九年、清ははじめて長岡の歴史ある花火大会を見学したが、その光景が描かれたのは一年あとの夏のこと。つまり記憶によって濾過された花火のイメージが作品になったのである。
川の両岸を埋めているおびただしい数の観客が、小さくちぎった黒と白の紙で表現されている。川面には尺玉の光が照り映え、地上のものはすべて細かな粒となって一体化しながら、画面の外へとあふれだしていく。上空には、いくつもの大輪の光が人間を超えた存在のように堂々と見下ろしている。
清は花火が好きで、亡くなる前に口にした最後の言葉は、「今年の花火見物はどこに行こうかなあ」だったという。花火は夜空に現われても次の瞬間には消えている。鮮烈なイメージにもかかわらず、留まる時間はごく短い。それゆえに印象は一層強くなって記憶に残ったのだろう。
彼にとっての放浪の魅力もそこにあったのかもしれない。一箇所に留まれば自然と薄れていく印象を脳裏に深く刻み込むために、移動を繰り返し、瞼に映すものを変化させていったのだ。