映画『若大将』シリーズは最高の
プロモーションビデオだった
映画『若大将』シリーズは、1961年に第一作『大学の若大将』が公開された。彼は大学を出たばかりの24歳。等身大の姿だった。エレキギターはもちろんのこと、ヨットにスキー、サッカーにアメリカンフットボール。『若大将』シリーズでそれらに興味を持った人も多いはずだ。まさに先駆的映画だったことになる。
「最初は一本だけだったんですよ。結局18 本(笑)。あれは青春時代のひとつの理想形ですよね。誰でもその頃にスポーツに専念するとかサークルで音楽をやるとか、将棋でも囲碁でもいい。勉強以外でそういった活動をするじゃないですか。スポーツは何でもやった方が良いし、音楽だって好きならやるのが良い。それを組み込んで理 想形にした。プロデューサーの藤本真澄さんと脚本の田波靖男さんのシナリオの力ですね。先駆者なんてことを意識したことはないですよ。僕は海ばっかり行ってたし、あんなにモテた記憶もない。洋上に女性はいません(笑)」
代表作との葛藤、とでも言えば良いのかもしれない。映画に限らず、若い頃に手にした成功がその後の人生に足かせになるという例も少なくない。『若大将』との出合いについて、今、どんな風に思っているのだろうか。
「両方ありますね。良かったというのはもちろんある。反面、若大将のイメージが強いがゆえに役者としての価値はほとんどない。黒澤明監督と『椿三十郎』『赤ひげ』、成瀬巳喜男監督と『乱れる』、堀川弘通監督と『狙撃』とかもやらせてもらってるんですよ。でも、やっぱり『若大将』になっちゃいますよね。出合えて良かったと思えるようになったのは大分経ってからでしたけど。今考えてみたら、あれはプロモーションビデオのすごいものだったと。一本の映画の中で3曲くらい歌ったら全部ヒットしちゃう。あのシリーズがプロモーションビデオとなって曲がヒットした。ありがたいな、と今は思いますね」
音楽と青春、そして海──。
加山雄三がいくつになっても〝若大将〟であり続けられるのは、映画と彼自身の間に落差がないからだと思う。 映画は終わっても〝若大将〟の人生は続いている。役柄と実人生が一致しているように見える。
そういう例はきわめて希有ではない だろうか。
「僕は音楽のプロだと思ってないんですよ。昔からそう。なぜかと言えば、音楽がものすごく好きなんです。生まれた時から好きだと言って過言ではないくらい。学生時代、評論家の小島正雄さんに『音楽が好きならそれでメシを喰うようにならない方が良いよ』って言われたんです。この世界に入って映画がヒットして鼻をこすってりゃ金になる、みたいなことが続くじゃないですか。そればっかりだと嫌になる。これでメシを喰うなんてことを思うと絶対に駄目だなと。趣味だからやってる。曲を作るのも、好きな時にやってると何十曲も一度に出来ちゃうんですよ。締め切りがあったり仕事だと思うと駄目ですね」