本年、没後80年ということで、全国の文学館、美術館などで、それぞれに切り口を工夫して「萩原朔太郎展」といったものが開催されている。
萩原朔太郎という詩人、そして朔太郎の詩集『月に吠える』は教科書にも載っていたので名前くらいは知っている。でも、それ以上は何も知らないことを知った。
もしかすると、そんな人は意外と多いのではなかろうか。
「萩原朔太郎大全」と銘打って、全国52の施設で、それぞれにテーマを設けて展覧会が催される詩人・萩原朔太郎とはどんな人物だったのか。後の詩壇に大きな影響を与えた口語自由詩を確立した詩人として〝日本近代詩の父〟と称される萩原朔太郎。
「萩原朔太郎大全」は、萩原朔太郎という詩人を知る旅なのかもしれない。
朔太郎の孫で、弊誌でも多くの文章を寄せていただいている萩原朔美さん。
詩が苦手だったという朔美さんは、前橋文学館の館長に就任して詩と向き合わざるを得ない状況になり、そこで朔太郎の詩も読み始めた。
そして、初めて詩の魅力がわかるような気がし始めたという。
萩原朔太郎という詩人が言葉とどのように向き合ったのか、
朔美さんと一緒に朔太郎を訪ねる詩の世界に出かけてみることにした。
本来の言葉が持っているという「言葉の素顔」に出会えるかもしれない。
写真提供:萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館
言葉の素顔とは?
「萩原朔太郎大全」の試み。
文=萩原 朔美
実は、私長い間詩が苦手だった。
と同時に、小説も積極的に読まなかった。それはそうだ。祖父が詩人で、母が小説家なのだ。素直に、まるで家業を継ぐために文学を目指す、など考えることすら不快だった。
そんな自分が、初めて文章を書いたのは、婦人公論の編集者が声をかけてくれたからだ。
当時、20歳の私は生まれて初めて舞台に立っていた。美輪明宏さんの息子役だ。その事を文章化する注文だった。国語のテストずっと零点だったのに、意外にスラスラ書けた。
それ以来、雑文は書き続けたけれど、詩だけはダメだった。当たり前だ。雑文は言葉が手段だけれど、詩は言葉が目的なのだ。同じ文字を使っているけれど、全く別物だ。詩は誰でもスラスラ書けるものではないのだ。
だから、私は、ずっと詩から遠く離れていたのである。
ところが、7年前、いきなり苦手な詩と付き合わざるをえなくなってしまった。文学館の館長を前橋市長から仰せつかったのだ。前橋文学館は、萩原朔太郎をはじめとして多くの詩人を輩出したことが分かる文学館だ。詩が苦手だからといって、逃げる訳には行かない。意識的に避けていた朔太郎の作品も読む羽目になった。
仕方なく読んでいると、全く想像していなかった事が起こった。詩の魅力のようなものが、少しだけ分かるような気がしはじめたのだ。
例えば、朔太郎の詩に
「静かに軋れ四輪馬車」
というフレーズがある。声に出して読んで気がついた。「静かに軋れ四輪馬車」は、「し」が4回出てくるの。試しに、「し」「し」「し」「し」と、4回声に出すと、なんだか口に指を当てて、静かにしなさいと言われているような気がしてくるではないか。詩は意味だけではなく、音として感じることも可能だと分かったのだ。
田村隆一の
「ウイスキーを水でわるように、言葉を意味でわるわけにはいかない」
というフレーズを思い出した。意味に囚われてばかりいると、詩の音楽が聴こえてこなくなるのだろう。
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