2013年7月1日号 PERSON IN STYLE《美しいとき》より
テレビドラマ「平岩弓枝ドラマシリーズ」などで演じた心にブレのない芯をしっかりと持っているからこその
どんな環境に身を置いても耐え切れる強さを備えた女という役どころから
山本陽子という女優には、和服姿が似合う清楚な旧き良き時代のどこか古風な日本女性のイメージを勝手に描く。
だが、ご本人自身はせっかちで陽気で行動的であるらしい。車を運転すれば相当なスピードマニアだという話はかなり有名だ。
山本さんと20年以上の親交がある俳優の辰巳琢郎さんは山本陽子さんの「素」の部分に接してきた一人。辰巳さんが語る「山本陽子像」から女優の新たな魅力が見えてくる。
こんな「いい女」はどこにもいない
文=辰巳琢郎
(琢郎の「琢」は点の入る旧字体)
陽子さんのお顔を見ると何故かほっとするんです。
初めて山本陽子さんと共演させていただいたのは、NHK朝の連続テレビ小説『京、ふたり』。平成二年のことです。そうか、昭和の時代には、一度もお会いしたことがなかったんだ……と、感慨深いものがあります。
思わず「初めて」と書いてしまいましたが、実は最初で最後。本来なら、この四月に放映していた『白衣のなみだ〜余命』という東海テレビ制作の昼帯で、久しぶりにご一緒するはずだったのです。衣装合わせの日に、先にクランクインされていた陽子さんの楽屋を訪ね「よろしくお願いします!」と浮き浮きしてご挨拶までしたのに、台本が全部出来上がっても絡みはゼロ。がっかりでした。
ファッションデザイナーの芦田淳先生抜きには、陽子さんのことは語れません。出会いは『京、ふたり』のお疲れ様会を兼ねた、陽子さんの四十九歳のバースデーパーティー。ドラマの共演者達(正確に言うと選りすぐりの共演男優陣)が、目黒青葉台の芦田邸へ御招待を受けた時のことです。先生は丁度還暦。明るいエネルギーに満ち溢れた方で、圧倒されっ放しでした。
それ以降も暫くの間は、芦田先生を介してお会いするだけでした。電話番号をお聞きしたのも、随分経ってからです。賑やかなことがお好きな先生主催の様々なパーティーや、年末恒例の麻雀大会。華やかなシーンに、陽子さんは欠かせない存在でした。
「劇場飛天」(現梅田芸術劇場)の正月公演に出演していた時のことは、未だに忘れられません。平成六年でしたでしょうか。芦田先生がわざわざ大阪まで、浅丘ルリ子さんと山本陽子さんという二大女優をエスコートされ、僕の演技の駄目出しに来てくださったのです。楽屋にもお越しいただき、もちろん舞台裏は騒然。でも、ルリ子さんに見られると思うと極度に緊張する一方、陽子さんのお顔を見ると何故かほっとするんですね。おかげで、とってもいい芝居が出来たと思います。
終演後は、美味しいものをご馳走になり、その日の芝居をしっかり酒の肴にされ、それから当然の如く麻雀。それまでは先輩の前でやや控え目だった陽子さんの存在感が、がぜん高まるシチュエーションです。