2014年4月1日号 PERSON IN STYLE《美しいとき》より
その美貌から〝天下の美女〞と謳われた山本富士子さん。
和服が似合う古来の日本女性の美しさを備えた女優は
〝高嶺の花〞であり万人が認める日本美人の代名詞的存在であった。
女優・山本富士子の映画を語るとき欠かせないのが『夜の河』だろう。
女の気丈さと情念の葛藤を鮮やかに演じきり、
美貌と演技力を備えた日本映画黄金期に咲き誇る、まさに〝大輪の花〞となった。
評論家・川本三郎さんも山本さんの代表作として『夜の河』を挙げるお一人。
映画を愛し、銀幕の女優たちに恋をしてきた川本さんが
山本富士子さんへの思いを綴ります。
常日頃から「言葉の力」というものをとても大切に思っています。
心の琴線に触れるようないい言葉は、心の糧であり、私の人生の支えです。
最近、朗読のお仕事をさせていただいた折、言葉だけで伝えることの難しさを知り、
この新たなお仕事に意欲を燃やしています。
みなさまの心に届く、言葉を伝えることができればと思っています。
美しき大女優、その深き愛
文・川本三郎
山本富士子さんにお会いするのは三度目になる。会う前はこれから大女優のお話を聞くのだと緊張するのだが、お会いするとすぐに柔かく優しい人柄に心がほぐれてくる。
三年前、二〇一一年の九月に、山本さんは五十年近く連れ添った夫、山本丈晴(たけはる)さんを亡くされた。金婚式を迎える直前だった。
「お元気になられましたか」と聞いた。普通、こんな時、多くの人は「ええ、なんとか」と答えるものだが、山本さんは笑顔ではあったが、「いいえ、なかなか立ち直れなくて」と言われた。
なんと率直なんだろう。伴侶を亡くした悲しみが簡単に消える筈がない。笑顔だったのでいっそう「いいえ」という言葉が胸を打った。山本さんは四年ほど続いた夫の闘病生活のあいだ、仕事を断って病院に泊り込み、ずっと付き添った。最期を看取った。
なかなか出来ることではない。山本富士子さんは、作曲家の山本丈晴さんのことを語る時、いつも「尊敬していた」と言う。「愛」という言葉より深く、強い。
お二人は昭和三十七年(一九六二)、七年の交際を経て結婚した。大映の大女優の結婚に周囲の反対があった。しかも、当時の(旧姓)古屋丈晴さんは重い結核をかかえていた。もしかすると死ぬかもしれない大手術をすることになった。
それを乗り越えての結婚だった。結びつきは強い。大スターなのに結婚式は派手なものにせず、そのお金を養護施設に寄附をしたというのも山本富士子さんの人柄を感じさせる。