映画スターの山本富士子さんが美しく輝いていたことはいまさら言うまでもない。日本映画の黄金時代を支えた。
泉鏡花原作、衣笠貞之助監督の『湯島の白梅』(55年)の芸者、お蔦。女形出身の衣笠監督の演出で女優として開眼したという。
そして、吉村公三郎監督の『夜の河』(56年)の素晴しかったこと! 妻子ある大学教授(上原 謙)を愛してしまう染物屋の娘。研究に失敗し、ひとり沈んでいる教授を見て言う。「先生が、いちばんがっかりしている時におそばにいられてうれしい」。恋する女性の愛らしさを見せる名場面として映画史に残る。そのあとこの京娘は、教授の奥さんが病気で死んだことを知り、ひとの死で自分が幸せになりたくないと去ってゆく。
この映画の山本富士子は何度見ても素晴しい。大阪に生まれ、女学校時代を京都で過ごした人ならではの、優しくて強い女性である。
京娘といえば小津安二郎監督『彼岸花』(58年)の、京都の老舗旅館の娘も、明るく、晴れやか。小津たっての出演依頼だった。
山本富士子さんは公けには「酒をたしなまない」ことになっている。無駄な酒の席を避けるため。一方、小津安二郎は誰もが知る大の酒好き。
『彼岸花』の打ち上げが原作者の里見弴の鎌倉の家で行なわれた時、山本さんも参加し、楽しい宴席になった。名匠小津がおどけて「カチューシャ」の格好をして歌い、踊った。
「その席ではジュースを飲んでいたんです。もしいまなら大いに飲んで、小津先生にいろいろなお話が聞けたのに」と残念がる。それでも小津作品に出演したことは勲章だろう。
美しい女優にこういう言葉は似合わないかもしれないが、山本富士子さんは大きな「苦労」を経験して、それを乗り越えてきた。
映画女優として大活躍している時、所属する大映を離れ、フリーになって他社の映画にももっと出演したいと願った。ところがその願いが当時の「五社協定」という、俳優を会社に縛りつける制度のために叶えられなかった。そればかりか、フリーを願う名女優の活動を映画会社が妨害した。その結果、山本富士子さんはどの会社の映画にも出演出来なくなった。
ひどい話である。当時は、そういう映画会社の無法がまかり通った。「組織と個人」の戦いのなかで山本富士子さんは活動の場を、映画からテレビ、舞台に移していった。
この辛い時期に、山本富士子さんの支えになったのが夫の丈晴さんだった。二人で理不尽な組織と戦ってきた。
近年、山本富士子さんは朗読の仕事に力を入れている。童謡「七つの子」や「赤い靴」の作詞で知られる詩人、野口雨情に惹かれているという。
もともと山本富士子さんは「言葉」「言葉の力」への特別な思いがあった。心に触れる言葉に出会うと、それをノートに書きとめておくようになった。本だけではなく、新聞記事や人と会って話しを聞いた時に心に残った言葉をノートに書きとめる。大事にする。朗読の仕事は言葉への思いから始まったという。
山本富士子さんは、家庭的な女性で、料理好き。いま、毎朝、夫の位牌に、自分の作った朝食を供えるという。
「そういう時、わたし、思うんです。夫は亡くなったかもしれないけれど、いつもそばにいてくれるって」