映画女優 月丘夢路(1921~2017)は、広島市に生まれ、高等女学校在学中に鑑賞した宝塚歌劇団の公演に強い感銘を受け、1937年に宝塚音楽学校へ入学。1939年には初舞台を踏み、翌年『瞼の戦場』(清瀬英次郎監督)で映画デビュー。1942年に出演した『新雪』(五所平之助監督)の大ヒットによって一躍人気女優となる。翌年には宝塚を退団し、大映と専属契約を結ぶが、その後、松竹、日活と各社を渡り歩き、映画女優として活躍。フリーランスに転身後、1970年以降は主軸をテレビや舞台に移し、亡くなるまで現役として輝き続けた。恵まれた美貌と高い演技力で人気を誇った女優・月丘夢路の軌跡を多岐にわたる資料によって辿ることができる。
映画監督 井上梅次(1923~2010)は、京都市出身。慶應義塾大学在学中から映画撮影のアルバイトに従事し、大学卒業後の1947年に新東宝へ入社。日活への移籍を経てフリーランスとなり、日本の映画監督で唯一、大手映画会社6社11撮影所すべてで作品を手がけるという実績がある。各社で次々と新人俳優を発掘した稀代のスターメーカーでもあり、日本では数少ない〝音楽映画〟の名匠でもあった。1966年には香港の映画会社ショウ・ブラザースに招かれ、香港映画界にも大きな影響を与えた。効率的な製作スタイルと観客心理を巧みにつかむ作劇によって、戦後の日本人監督としては最多となる116本を監督し、映画界に多大な貢献を果たした井上梅次の映画人生が展覧資料から詳らかにされる。
黄金期の映画界で出会った二人は1957年に結婚し、日本映画界屈指の名カップルとして知られる。月丘が日活へ移籍した1955年、時を同じくして井上梅次監督も新東宝から日活に移籍し、『火の鳥』(1956年6月公開)において、主演女優と監督として初めて仕事を共にするが、二人は撮影をきっかけに親密な関係となり、翌年10月に結婚式を挙げた。以来、2010年に井上が死去するまで50年以上にわたって睦まじい歳月を送ってきた。二人そして彼らが築いた家族の送った日々も振り返り、「映画人夫婦の100年」を記念して開催される。
本展覧会では、日本の映画界に大きな足跡を残した夫妻の歩みを、井上・月丘映画財団の全面協力のもと、本人たちが遺した多岐にわたる資料が公開される。NFAJ所蔵のポスターで二人の映画人生をヴィジュアルに追体験し、会場には国立映画アーカイブ所蔵のポスターも展示、関連映画作品のポスターギャラリーが楽しめる。
さらに、歌手としても活躍した月丘の録音や井上監督作の主題歌など合計15曲が聴けるコーナーの他にも、当時発売されたレコードや楽譜などの音楽関連展示も豊富に用意されている。
月丘夢路 井上梅次 100年祭
会期:2023年8月22日(火)~11月26日(日)
会場:国立映画アーカイブ
休室日:月曜日および9月5日(火)~8日(金)、9月26日(火)~10月1日(日)
HP:https://www.nfaj.go.jp/exhibition/tsukioka-inoue100/