かつて旧ソビエト連邦の構成国であった、キルギス共和国。1991年のソ連崩壊後、モスクワから独立宣言し国民国家としての主権を確立した。しかし、依然として発展途上国であり、遊牧民の国である。標高5,000メートルを越える天山山脈のふもとに広がる雄大な山岳と草原の国キルギスは、かつてシルクロードの一地点として栄えた。近年は、生活様式の変化や近代化に伴い経済的には豊かになってきたが、国内政治の不安定化やゴミなど、新たな問題も生まれている。また大国ロシアからの政治・経済的影響などがキルギスを大きく揺さぶっている。
キルギスの村にひとりの男が帰ってきた。23年前にロシアに出稼ぎに行ったきり行方がわからなかったザールクだ。記憶と言葉を失ったその姿に家族や村人たちは動揺するばかりだが、そこに妻ウムスナイの姿はなかった――。心配する家族や村人たちをよそに、ザールクは溢れる村のゴミを黙々と片付けるのであった。無邪気に慕ってくる孫、村人とのぎこちない交流に、穏やかな村の暮らし。そんな中、村の権力者による圧力や、近代化の波にのまれ変わっていく故郷の姿が、否応なくザールクに迫ってくる。果たして、家族や故郷の思い出はよみがえるのか? 息子や妻の名前を再び口にすることはあるのだろうか。そんな時、家族を結びつける思い出の木の傍から懐かしい歌声が聴こえてくる……。
本作は、言葉と記憶を失った主人公ザールクを、まるでリトマス試験紙のような存在として現在の地球上で失われてゆく人間性を問い、人間の愚かさを描いている。監督・脚本・主演のザークル役を演じるアクタン・アリム・クバトは、まず道徳という指標を投げかけてくる。若い家族の奔放な感情、プライド、女性に対する虐待、人々の間の憎しみ、そしてイスラム教(宗教対立)の過激化、汚職、大気汚染、大量のゴミで台無しにされてゆく環境等々、変わりゆく故郷の姿を通して静かに問いかけてくる。激変し冷酷な世界で道徳が守られるかどうか、クバト監督は試みているのだ。
雄大な自然の中、かつて日本にもあった原風景のような人々の営みを、あたたかく時には苦く、見つめる。監督が母国のインターネットニュースで見つけた実話を元に、厳しい生活の中でも、ほっこりするユーモアも顔をのぞかせながら、変わりゆく世界に抗い、伝統と文化を守ろうとする家族の姿はささやかな希望を灯すに違いない。
『父は憶えている』
12月1日(金)より、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
監督・脚本・主演:アクタン・アリム・クバト
第96回アカデミー賞国際長編映画賞キルギス代表
第35回東京国際映画祭コンペティション部門正式出品
第15回アジア太平洋映画賞審査員グランプリ
配給:ビターズ・エンド
©Kyrgyzfilm, Oy Art, Bitters End, Volya Films, Mandra Films
【公式HP】 www.bitters.co.jp/oboeteiru/