2017年10月1日号「街へ出よう」より
レコード盤を痛めないようにと、
やさしくターンテーブルに乗せ、そっと針を置くときの緊張感。
A 面からB 面に裏返して聴くときの心弾むワクワク感も忘れられない。
欲しかったレコードが手に入ったときは、
部屋のインテリアにしてジャケットを飾っていた。
レコードジャケットは好きな絵と同じでアートになった。
80年代に入って、音楽はCDで聴くものに変わってしまったが、
忘れ去られていたレコードに再び熱い視線が送られている。
懐古趣味の世代だけでなく若い世代が新しさを感じているようだ。
音楽好きなら「音楽を鑑賞する場所」へ足を運び、真剣に聴く。
音響の良いスピーカーも備えられたジャズ喫茶で、
新旧のミュージシャンの曲に浸ってみよう。
レコードを聴く
~「知らなかった音」につつまれる至福の時~
文・太田和彦
レコードをあつかう面倒くささが好きだ
最近レコード人気が復活し、ソニーがプレスを再開したそうだ。私も音楽はレコード派。若い頃からこつこつと買い集め、今も中古レコード店巡りを続けて1200枚くらいになった。
近ごろの音楽はイヤホンを耳に突っ込んで聴くものになり、スピーカーからの生音ではなくなった。音楽の本来は目の前で音が鳴るものではなかったか。また最近はダウンロードと言うのか配信で聴くものらしく、私には意味不明で、演奏者や曲目の詳細はわかるのだろうか。好きな音源を手元に置かないで音楽好きと言えるだろうか。
薄い溝を針がトレースして音を出す原始的なレコードは、その間は静かにしていないと針がとぶ。つまり何もせず「真剣に聴く」。その時ジャケット解説を読んだりする。そこがいい。夜、ひとりの時間に、さあ何を聴こうかなと盤を選び、ターンテーブルに乗せて針をおとすのは至福の時間で、私だけの演奏会が始まる。
CDでも同じではないかと言われるとそうでもなく、デジタルは摩滅しないが、レコードはすり切れる。演奏が終わったら針を上げることを忘れてはならない。もちろん外に持ち歩くなどはできない。この面倒くささが「真剣に聴く」になる。
レコードを聴くプレーヤー、アンプ、スピーカーなどのオーディオ装置は場所をとり、また高級なシステムは何百万円は当たり前の世界で、ふつうの人にはとてもできない。したがって愛聴盤を最高の音質で聴きたい願いは、そういう機器をそろえたレコード喫茶に行くことで叶えられる。ついでに書けば、CDは大音量にしても聞こえる内容は同じで、音が大きいだけだが、レコードは「知らなかった音」が溝から無限に湧いてくる。それが最大の魅力だ。
学生時代が蘇ったジャズファンの聖地
戦前に開店した横浜のジャズ喫茶「ちぐさ」はジャズファンの聖地だ。私ははるか50年も前に一度入った。移った新店にも、かつてあった、黄色地にしゃれたイラストの置看板「モダンジャズ&COFFEE ちぐさ」が路上に置かれて胸がいっぱいになった。これも健在の表示板〈MJL〉は〈MODERN JAZZ LEAGUE〉の略で、1960年代に全盛だったジャズ喫茶のグループのこと。大学生の私は、田舎の高校時代から読んでいた雑誌「スイングジャーナル」のMJL共同広告を見て、下宿の下北沢に近い明大前の「マイルス」に入り浸り、ジャズを聴いていた。もちろん下宿にレコードなどなかった。
煉瓦貼りの新店は角地で窓が大きく明るいが、席はすべて正面の巨大なスピーカーボックスに向き、ここは音楽を鑑賞する場所であることを堅持しているのがうれしい。かかっているのはマイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」。
いいなあ……。
聴き慣れたレコードだけど、口惜しいが音が全然ちがう。家で聴くよりもマイルスのトランペットはよく伸び、コルトレーンのサックスは艶がある。一関の有名なジャズ喫茶「ベイシー」は耳をつんざく強烈な音響で未聞の世界を開くが、ここの音質は中庸で、好きな盤をリラックスして聴く良さだ。木造店内も音を柔らかくしているのかもしれない。すべて専門家特注の演奏心臓部は、レコード盤より直径の大きいターンテーブルが二台並ぶヨダレもの。すてきなお姉さんが、次の盤をさっと拭いて置く。店内で創業者・吉田衛さんを囲んで撮った、原信夫、秋吉敏子、日野皓正、谷啓、石橋エータローなどの面々がいい。世界の渡辺貞夫はじめ、皆ここで「真剣に聴いて」プロになったのだ。秋吉さんの笑顔のなんとすてきなことか。
今入って来た白髪の紳士客は、黄色ポロシャツに水色の軽いジャケット、半ズボンに革靴とおしゃれだ。リクエストができ、その分厚い台帳バインダー二冊はアーティスト順に並ぶ。せっかくだから何か聴こう。大好きなアート・ペッパーは四三枚もある。選んだ「ミーツ・ザ・リズムセクション」が鳴りはじめ、とっぷりと音の世界にひたった。