第一回
昭和の銀幕の女優たちとのめくるめく時間
前編
文=二見屋良樹(「コモレバ」編集長)
2009年9月25日にフリーペーパー「コモレバ」を創刊して以来11年目の春、編集部は6月29日の発行を目指して第44号の編集作業を進めていましたが想像を絶する新型コロナウイルス蔓延問題により、第44号の発行延期を決めました。
そこで、今回はWebマガジンにて「コモレバ」をお届けすることにします。手元にある43号までの表紙を並べて見ていると、折々の撮影時のことが甦ります。
昭和を代表するキラ星の如き女優のみなさまにも表紙を飾っていただきました。今回は、「コモレバ」アーカイブ コレクションから表紙で振り返る「コモレバ」として、まずは第20号までの表紙撮影の裏話などを前・後編で、ご紹介したいと思います。
まるでSF映画を思わせるようなこのたびの状況で緊急事態宣言が解除され規制が緩和されつつあるとはいえまだまだ大手を振って外出を楽しめる生活ではありません。
「コモレバ」Webマガジンが、ご自宅で過ごされる時間の少しでもお慰みになれば幸いです。
撮影=渞忠之(浅丘ルリ子、富司純子、草笛光子、岡田茉莉子、佐久間良子、岩下志麻、若尾文子、山本富士子)、神ノ川智早(岸惠子)、平岩享(八千草薫)
現在発行の43号までの「コモレバ」の表紙のあり方として、3つの時期に分けることができる。創刊号から20号までは昭和を代表する銀幕の女優たちと各界の男性にペアで登場していただいた。21号から30号までは、すでに鬼籍に入られたり、引退なさっていてということで撮り下ろしがかなわないものの、昭和の映画や舞台を語る上で見過ごすことができない、次の時代に伝えるべき女優の方々。そして31号から現在までは、一つの映画や舞台をいい作品に仕上げるという同じ志を持つ仲間の方たちにご登場いただいている。まずは創刊号から第20号までの表紙を2回にわたって振り返ってみる。
表紙のスタイルを決めた
浅丘ルリ子&村松友視の
2ショット
昭和を生きてきた人たちと向き合う雑誌として企画した「コモレバ」。2009年9月25日発行の記念すべき創刊号の表紙を飾ってくださったのは、女優の浅丘ルリ子さんと作家の村松友視(視は示に見)さんだった。浅丘さんには巻頭インタビューに登場していただくことが決定しており、村松さんには特集企画で箱根にご一緒していただき、「村松友視の箱根時間」なる原稿をご執筆いただくことになっていた。「コモレバ」創刊に当たり、まず決まったのが、浅丘さんのインタビューと、村松さんの特集企画、そして故・児玉清さんに連載で巻頭エッセイを執筆していただくことだった。児玉さんには、お亡くなりになる直前の2011年春号まで全7回ご執筆いただいた。
表紙についてはまだ決定案が出るにいたっておらず、さまざまな意見が飛び交う中、人として輝きを放ちながら、プロフェッショナルとしても第一線で活躍を続ける50代以上の女性に登場していただく、という意見が浮上し、巻頭インタビューに出ていただくことになっていた浅丘さんに決定した。ただ、新雑誌として何か印象に残る表紙のあり方はないかと思案する中で、男女のペアでご登場いただくという方向性が見えてきて、ならば、特集に出ていただく村松さんに浅丘さんとご一緒していただくのはどうかということになり、早速お二人に打診したところ、「すてきな企画ね」「表紙だけの撮影でご一緒するとは贅沢だね」とお2人とも快諾してくださった。
お2人は同じ年齢で、旧知の間柄。浅丘さん主演で村松さんが脚本を担当したテレビドラマ「風ものがたり」もある。因みにドラマの演出は蜷川幸雄さんだった。撮影は白金にあるバーで実施され、終始なごやかな雰囲気ながら大人の成熟した時間が流れていた。撮影を担当してくださったのは渞忠之(みなもと ただゆき)さんで、人物の表紙なら撮影は渞忠之さんと決めていた。昔のフィルムをイメージしてあえてセピアカラーの表紙にした。久しぶりにご一緒させていただいたが、第2号以降も表紙を担当していただくことになった。その後浅丘さんには、テレビドラマ「やすらぎの郷」「やすらぎの刻 道」で現在まで3回も表紙に登場していただいている。浅丘さんは、大女優というオーラを放ちながらも、その場の空気を和ませる不思議な魅力を纏った人で、気遣い、気配りの人でもあり、現場の人たちはみんな浅丘さんのことが大好きになってしまう。私も気安く〝ルリ子さん〟と呼ばせていただいている。また、村松さんにはこれまで6回、特集の原稿をご執筆いただいた。村松さんの原稿には、いつも期待を大きく裏切られる。まったく想像の及ばない着地点に毎回連れていかれるのである。そのたび、私は編集者としての幸せを感じている。