表紙で振り返る「コモレバ」の10年


第二回

昭和の銀幕の女優たちとのめくるめく時間

後編

文=二見屋良樹(「コモレバ」編集長)


表紙で振り返る「コモレバ」アーカイブコレクションから
昭和のスクリーンに輝くキラ星の如き女優のみなさまをご紹介するシリーズ。
引き続き後編として、第11号にご登場いただいた
若尾文子さんの回からお話しましょう。
今回もまた、数々の映画や舞台にその名を刻むすばらしい女優さんばかりです。
共に昭和を過ごしていらした読者の方々それぞれに
ご自身の青春の日々と重なる、憧れの女優さんたちがいらっしゃると思います。
お相手を務めてくださった男性のみなさまが
「緊張した」「夢のような時間」と異口同音におっしゃっていますが
なによりも、編集者の私自身が一番幸せな思いをしたのではないかと実感しています。
雲の上の存在である美しき女優たちと同じ空間で
同じ時間を共有し、直接会話を交わすことができたのですから。
編集者冥利につきる体験をさせていただきました。
この原稿を書きながら、すばらしき女優さんたちと同時代を過ごせた喜びを
改めてかみしめています。

創刊から足掛け3年
満を持して
若尾文子さん登場

第11号 若尾文子&岡田惠和(2012年3月)



 大映の看板女優として増村保造監督の作品をはじめ数々の映画で〝女〟〝おんな〟〝をんな〟を演じ、世の男性たちをメロメロにさせてきた若尾文子さん。実は創刊当初より、表紙にご登場いただくべく依頼をさしあげてきていたが、スケジュールが折り合わずなかなか実現にいたらなかった。アタックしては砕ける私を気遣ってくださったのか、ある時、マネージャーさんから「継続は力ですよ」と励みになる言葉をいただいた。そして、その後もラブレターを出し続けたある日、「大変お待たせいたしました。お受けいたします」とのお返事をちょうだいし、ついに若尾さんに表紙に出ていただけるその日がきたのだ。思わず快哉を叫んだ。

 すばらしき大女優の方々に表紙を飾っていただいているので、多くの方から、「どのようにして口説き落とすのですか」「どんな依頼書を出しているのですか」と質問を受けることがあるが、マニュアルみたいなものはなく、企画書というより、ファンレター、ラブレターに近いかもしれない。だが、口説き落とすなんて、とんでもない。美しき大人の女優さんたちが、なんとなく面白がってくださり、未熟な少年の思いを叶えてくださった、というところだろう。


 若尾さんは、取材の前年に放送されたNHK連続テレビ小説「おひさま」でヒロインの現在を演じるとともにナレーションも担当し、今回のお相手は脚本を手がけた岡田惠和さんに決まった。「ちゅらさん」や「最後から二番目の恋」などで知られる人気脚本家だ。撮影は、若尾さんも亡き夫である建築家の黒川紀章さんともたびたび訪れている赤坂の料亭「口悦」のサロンバーで実施した。小津安二郎監督が名付け親の料亭で、多くの昭和のスターたちが馴染み客に名を連ねている。岡田さんは初めて若尾さんに会ったとき、「頭が真っ白になり何を喋ったのか、喋れなかったか、よく覚えていない」が、「覚えているのは、周囲の人の視線を感じたときの感覚」で、「それが誇らしく、それはもう、明らかに〝恋〟なんだと思う」と告白してくださった。数年後に岡田さんにお会いする機会があり、そのときの弊誌をお見せすると、「あんなに緊張した撮影は初めてです。思い出すだけで冷汗が出ます」とテレていらした。
 若尾さんは、とてもリラックスした様子で、増村保造監督のこと、大映時代のこと、都合で出演が叶わず残念な思いをした映画やテレビドラマの話など、ここでしか聞けない映画の裏話を惜しげもなく披露してくださった。岡田さんではなが、話の最中で目が合うと、周囲に音がもれるのではないかと思えるくらい、胸がドキドキした。どちらかと言えば、和服のイメージが強い若尾さんだが、今回は白のスーツドレスで、冒しがたい気品を放っていらした。

絹のような声と
舞踊のように
流れるような所作の美しさ

第12号
藤村志保&大森寿美男(2012年6月)

 12号に登場していただいたのは、やはり大映出身の藤村志保さん。私が藤村志保という女優の名を知ったのは、小学生のころ父に連れられて観た映画『斬る』(監督:三隈研次、主演:市川雷蔵)だった。オープニングシーン、しずしずと廊下を歩く奥女中の足元をカメラは追う。そして御女中はある部屋の襖を開け「お家のため、お命を頂戴いたします」と寝ている殿の愛妾に刃を振りかざす。逃げまわる側室、短刀を手に追いかける御女中。そこにタイトルクレジットが重なる。そしてついに御女中は側室を討つ。この御女中が藤村志保だった。恐かった。小学生の記憶にも、このシーンは鮮明に刻まれた。その後、多くの作品で藤村さんと出会うなかで、その声にも魅せられた。そして藤村さんを思うとき、少しは芝居がわかってきた私の脳裏には、覚悟の女性を演じる藤村さんの姿がいつも浮かぶ。テレビドラマ「幻花」で立ち腹を切る足利義政の愛妾今参局、大河ドラマ「風林火山」での今川義元の母・寿桂尼。それらの女人を通して藤村志保という女優のイメージを勝手に創りあげていた。

 実際にお会いした藤村さんは、着物姿の凛凛しさ、美しく化粧を施したような声の品格はそのままに、気配りがきき、時折お茶目な表情もみせてくれるすばらしくチャーミングな女性だった。お相手は「風林火山」の脚本を手がけた大森寿美男さんで、お2人は3度ドラマでご一緒した仲。撮影の数日前、大森さんから電話がかかってきた。「藤村さんがお着物なら僕も着物にしようと思うのですが」と。藤村さんからプレゼントされた着物に一度も袖を通す機会がなかったので、ぜひ藤村さんに着物姿をご披露したいということだった。「着物を着るにはどうすればいいのでしょうか、何をそろえればいいのでしょう」と、私も着物に通じてはいなかったが相談に乗ることになり、当日は日本舞踊を嗜む友人に着付けで来てもらった。撮影場所は当時巣鴨にあった、藤村さんの妹さんが女将を務める「日本料理 すがも 田村」で、「なんだか息子のお披露目に付き添う母親の心境だわ」と、藤村さんは大森さんにかいがいしく世話をやいていた。大森さんは「藤村志保さんには大いなる人間力を感じます」と讃え、「素晴らしい俳優と作品を創る喜びを教えてもらいました」と、藤村さんとの出会いは一生の宝物だと、昨年は朝ドラ「なつぞら」でも筆を揮った。

 

少年時代からの
憧れのお姉さん
星由里子さん

第13号
星由里子&北原照久(2012年9月)

 2018年5月、西城秀樹さんの死に続き、星由里子さんの訃報が伝えられた。だが、テレビ時代のスターアイドルである〝ヒデキ〟のニュースに比べて、星さんの死は、テレビのワイドショーなどではあまりにもあっさりと報じられ、少年時代を『若大将シリーズ』で過ごした身にとっては、寂しかった。表紙の銀幕女優シリーズには、星さんにもぜひとも出ていただきたいと思っていたが、星さんは京都暮し。この撮影だけのためにお出かけいただくことは難しいかな、と考えていた折に好機が訪れた。2011年度の菊田一夫演劇賞で特別賞を受賞した司葉子さんへお祝いの花束贈呈者のゲストとして会場に星さんを見つけた。授賞式の後のパーティで、料理を召し上がっている最中の星さんに失礼ながらも図々しく声をかけたのだ。そして思いを伝えた。その場では談笑するに終わった。その後、正式に事務所へ依頼をさしあげ、東京の舞台に出演中の楽屋にも、幕間にまたまた図々しく大胆にも馴染みのレストランのシェフに作ってもらった弁当を楽屋見舞いにご挨拶にもうかがった。星さんは私の暴挙にあきれることなく歓待してくださった。そうして、第13号の表紙に登場いただくことが実現した。

 

 撮影場所に現れた星さんは開口一番「粘り勝ちね」と、いらずらっぽい笑顔を見せた。お相手は加山雄三さんが人生の指針だと言う、ブリキのおもちゃコレクターの第一人者として知られる北原照久さん。〝若大将〟の恋人〝澄ちゃん〟を演じた星さんは、北原さんにとっても〝心の恋人〟という存在。気分はすっかり若大将、とご本人を前に感激しっぱなしだった。その後も、星さんが東京の舞台に出演なさる際には出かけた。時折、メールのやりとりもさせていただくようになっていた。星さんの病気のことなどまったく知らなかった。だから訃報は寝耳に水で、にわかには信じ難かった。悲しみは後からじんわりと押し寄せてくる。

子どもも魅了した
アダルトでセクシーな
お姉さん

第14号
水野久美&樋口尚文(2012年12月)

 第14号を飾っていただいたのは、星さんと同じく東宝出身の女優、水野久美さん。水野さんと言えば、東宝特撮映画で育った世代にとっては『怪獣大戦争』のX星人の間諜であり、食べると自らもキノコになってしまう怪キノコ・マタンゴの恐怖を描いたホラー映画『マタンゴ』だろう。当時子どもの僕たちは東宝特撮映画に夢中になっており、学校でも子どもが観る映画として認められていたようだが、後年見直してみると、大人も楽しめる映画であることがよくわかる。水野さんのクールな美貌は、宇宙人の役に説得力をもたらしていたような気がする。お相手願った映画評論家の樋口尚文さんにとっても、水野さんとの最初の遭遇は東宝特撮映画であり、「私の初恋の人は水野久美さんでした」と言い切る。そして、共著『女優水野久美 怪獣・アクション・メロドラマの妖星』上梓された。

 

 表紙の撮影場所は閉館を間近に控えた映画館<銀座シネパトス>で、樋口さんも企画に携わった「水野久美映画祭」も実施されたお2人にとって縁のある名画座である。シネパトス・ラスト・ロードショーとして上映され、全編を通して銀座シネパトスで撮影された樋口さん監督の『インターミッション』には、多くの映画人たちが出演しているが、水野さんもそのお一人。撮影所育ちの女優には、やはり映画館がよく似合う。最近ではテレビドラマ「やすらぎの刻 道」でも、往年の大女優役で出演していたが、樋口さんが言うところの「銀幕の向こうの非日常で輝いている遠く美しい存在」ぶりは、健在だった。

おっとりした
育ちの良さと
歯切れの良さが魅力

第15号
十朱幸代&鳥越俊太郎(2013年3月)

 第15号の表紙は十朱幸代さんに飾っていただいた。この日の衣装はヒョウ柄がアクセントとして効果的なコーディネートで、後日この表紙を見たファッションデザイナーの友人が、「ヒョウ柄をすばらしく上品に着こなしている」と、わざわざ電話をかけてよこした。これこそ、十朱幸代という女優の質ではないかと、頷くものがあった。映画、舞台、テレビドラマで数多くの役柄を演じる中には、生きるためには手段を択ばないような、いわゆる汚れ役と言われるような役もあったはずだが、十朱幸代という女優からは、その役柄の向こうに知性・品性が見られるのだ。お相手を務めていただいたジャーナリストの鳥越俊太郎さんも、賛同してくださった。「品性があって、凛としたところもあり、ひたむきな感じも伝わってくる、日本の女のあり方のようなものを示している女優さん」と評する。そして、「いつまでも現場にい続けたい」という互いの共通点には、「同志のような感情が芽生えた」と感激していた。

 

 子ども時代の映画が娯楽の原点だったという鳥越さんと、映画談義で盛り上がった十朱さん。長谷川一夫、萬屋錦之介、勝新太郎、渥美清など、錚々たる数多のスター俳優たちと共演した中で、強烈な印象として残っているのは石原裕次郎だったと言う。日活映画の『青春とはなんだ』『黒い海峡』『殺人者を消せ』『敗れざるもの』などの共演作が浮かんだ。

カラッとした
清々しい男前の
山本陽子さん

第16号
山本陽子&辰巳琢郎(2013年6月)

 着物姿に定評があり、旧き良き時代のどこか古風な日本女性のイメージ。その役柄からこんな勝手なイメージを描いている人は少なくない。山本陽子さんである。実はせっかちで、陽気で、行動的な女性である。車を運転すれば、相当なスピードマニアだという話も、今では有名である。ご一緒していただいた、俳優の辰巳琢郎さんは、山本さんと20年以上の親交があり、山本さんの〝素顔〟に接してきたお一人。そして、山本さんにいくつもの賛辞を贈る。「淑やかさもあれば、小股の切れ上がった粋も備えたいい女」「美しくて近寄りがたいのに、実は男前のいい女」。そして「どこを探してもこんなにいい女はいない」と言い切る。山本陽子という女優が50年以上も第一線で活躍しているのを、辰巳さんの言葉が裏付けしているように思えた。

 

 テレビドラマ、映画、舞台と仕事でもそうだが、OL時代の仲間たちとは今も定期的に集まりゴルフや麻雀、旅行を企画し、家ではてきぱきと断捨離もこなす。恐らく、回遊魚よろしく動いていないといられない性分なのであろう。そして思い切りよく人生を生きている人から伝わってくる清々しさが撮影現場にも漂っていた。

この人に
微笑まれたら
無上の幸せ

第17号
八千草薫&山田太一(2013年9月)

 やはり創刊時からお願いをさしあげていた八千草薫さんにご登場いただいたのは創刊から4年目の第17号だった。82歳の女優は、年に数本の映画にテレビドラマ、そして舞台にも精力的に出演していた。この日も、90歳で詩人になった柴田トヨさんを演じた主演映画『くじけないで』の公開を控えていた。ケーブルテレビの映画専門チャンネルなどで昔の映画や、昭和の時代のテレビドラマを放送していて八千草さんをよく見るが、20代、40代、60代、いずれの八千草さんもその都度美しい。いずれの年代の八千草さんも、すべてチャーミング。20代の八千草さんを見て、「若かったね」と感じるのではなく、見る人の中で20代の八千草さんも80代の八千草さん同時に存在しているのである。〝女優・八千草薫の不思議〟である。見る人にこれほど印象を変えることなく存在している女優も珍しい。あの喋り方、声のトーン、向けられる微笑み、実際お会いする八千草さんは、スクリーンで見た女優そのものだった。テレビ「やすらぎの郷」で印象的だった「ねぇ」と微笑まれたときには、とろけてしまいそうだった。

 

 ご一緒していただいた脚本家の山田太一さんは舞台『ラヴ』、テレビドラマ「岸辺のアルバム」「シャツの店」など数々の作品で八千草さんと組んでいる。そして60代の八千草さんは、老境ながら人生でいちばん美しいころといえるのではないかというインスピレーションを山田さんに与え、「いちばん綺麗なとき」というドラマを書かせた。そして、山田さんは「とてもとても代りがいない人なのである」という。八千草さんには第31号でも、「やすらぎの郷」に出演中の浅丘ルリ子さん、加賀まりこさんと一緒に表紙にご登場いただいた。ドラマ撮影中のスタジオでの取材で、八千草さんだけまだ撮影が残っていたが、気を遣ってくださって、撮影に協力してくださったときは、大女優の優しさに心が熱くなった。2019年10月の八千草さんの訃報には大きな衝撃を受けた。もしかすると、この人は不死身で、女優として永遠に私たちを魅了し続けるのだと思い込んでいたのだ。

美しい人生のあり方を
教えてくれる
知性の人

第18号
浜美枝&C.W.ニコル(2013年12月)

 第18号に登場願ったのは、弊誌でエッセイ「箱根便り」を連載していただいていた浜美枝さん。撮影場所のシャングリ・ラ ホテル 東京に現れた浜さんは紫と白の総絞りの和服姿だった。どちらかと言えば、都会的でスマートで最新のモードを身に着けているイメージがあったが、1月1日号ということで和服にしました、とのお気遣い。恐れ入りました。このシリーズ唯一の和装となった。お相手を務めてくださったのは、作家で環境保護活動家で、探検家のC.W.ニコルさん。ニコルさんは信州・黒姫に居を構え、環境保護活動、森の再生活動などを通じて、浜さんと親交を深めている。決して〝友だちもどき〟の関係ではない、とニコルさんは言う。「本当の友だちだと、胸を張って言えるし、浜さんと友だちでいられることは、僕にとって大いなる誇りである」と言う。浜さんからは、生活の主軸に自然が据えられているのを感じとることができ、自然から多くのことを学んでいるから本物の美意識を身に着けることができている人だと讃える。もう30年以上のおつきあいになる。

 映画『007は二度死ぬ』でボンドガールに抜擢された浜さんの美しさに一目で魅せられ、初めて会ったときは、初恋の人を前にした少年のように、真っ赤な顔をして、ただうつむきながら胸をドキドキさせていたという。その憧れの思いは、この撮影でも続いていたようだ。ニコルさんは終始顔を赤らめ、はにかんだ姿はまさに少年そのもの。ダブルのスーツにネクタイといういでたちが窮屈そうだった。浜さんは当時70歳。この先、80歳、90歳のときにどんな自分でいられるのかをイメージしながら、いい出会いに心をときめかせて、人生の旅を続けていきたいという言葉に、年齢を重ねながら蓄積されたものだからこその美しさを感じとった。浜さんと時間を共有していると、自分までが美しい生活を送れるような気がしてくる。ニコルさんは本年4月亡くなられた。ご冥福をお祈りする。

天下の美女にして
大女優の登場
山本富士子さん

第19号
山本富士子&川本三郎(2014年3月)

 まさか、山本富士子さんにお会いできる日が来るなんて想像だにしなかった。それほど、女優・山本富士子という存在は高嶺の花で、日本美人の象徴だったと思う。私は子ども時代には、山本富士子をエリザベス・テーラーと重ねて見ていた。その山本富士子さんに弊誌の表紙を飾っていただけるのだ。お相手にとリクエストなさったのは、弊誌の好評連載「昭和の風景、昭和の町」を執筆していただいている評論家の川本三郎さん。早速、電話で川本さんに伝えると「えっ!」とうなったまま、しばし絶句。その無言の中に、「どうして、なぜ」という川本さんの言葉が聞えたような気がした。映画評論の専門家である川本さんにとっては、私以上に、事の重大さを感じ取られたに違いない。なにしろ表紙である。「私が天下の美女の横にいていいんでしょうか」「洋服を買わなきゃ」「床屋に行かなきゃ」と、初めてのデートを前にした少年のようだった。

 お2人はインタビューやトークショーで面識があり、そのときの川本さんとの時間が大女優の心にしっかりと刻まれていたのだ。少女時代のこと、戦後のこと、亡き夫・山本丈晴さんのこと、映画『夜の河』のこと、小津安二郎監督との楽しいエピソード、京マチ子さんとの交流などなど、話題は多岐にわたった。川本さんの著作『いまも、君を想う』『マイ・バック・ページ』なども山本富士子さんは読んでいらして、川本さんは恐縮することしきりだった。撮影での山本富士子さんは、まさに〝大輪の花〟そのもので、正面を切る芝居の見事さを、生で見せられた思いだ。

映画女優という
頃もが似合う
非日常の存在

第20号
江波杏子&白井晃(2014年6月)

 オリジナルの撮り下ろしで紹介する昭和の銀幕の女優シリーズの最終回を飾っていただいたのは、江波杏子さん。パーティなどでは何度か一方的にお目にかかっていた。デザイナーのコシノジュンコさん、画家の金子國義さん、人形作家の四谷シモンさんなど、時代の最前線のクリエーターたちとご一緒だった記憶がある。江波さんの印象は、とにかくエキゾチック。そして硬質な語り口。猫のような瞳をしなやかな姿態。そして、はっきりと物を言う現代女性、神秘や謎が似合う女、そして恐い女、と役柄を想像してみたとき、映画のセットのような撮影場所が浮かび、新宿にある昭和が香るバーで実施した。

 お相手は俳優で演出家の白井晃さん。お2人は舞台で女優と演出家として出会った。そして2か月先には3度目のタッグとなる舞台公演が控えていた。江波さんは「仕事で私を泣かせたのは白井さんだけです」と告白。演出家の白井さんの発言に説得力があり、本質をついていることに江波さんも思いいたり涙が出たのだと説明してくれた。白井さんは「江波杏子という厳然たる存在であり、それはちょっとやそっとでは身につかない積み重ねられた経験、美貌も含めての存在感の上に成立するもの」と讃えていた。写真は、「最近の役柄とはひと味違うみずみずしい江波杏子さん」と多くの方々から好評を得た。2018年に亡くなる直前まで、映画、テレビドラマ、舞台に出演を続けていた江波さんの訃報はまさしく寝耳に水の知らせだった。生涯現役女優を貫いた見事な女優だった。

 あとがき

雑誌の編集という仕事を通して、というより「コモレバ」の企画を通して、普通ではお会いできない数々の銀幕の名花に直にお目にかかることができ、親しく話をさせていただく好機を得ることができている。「誰のファンですか」「誰が一番キレイだった?」などと、面白おかしく訊かれることも多いが、それに答えるのは無理な話だ。なぜなら、基本的にすべての女優さんをリスペクトしているのだから。ただ、ファンとして遠目で見ているときなら、答えられたかもしれない。だが、仕事でお会いした女優たちは、みなさん美しく、プロフェッショナルとして仕事に誇りを持ち、人としても魅力にあふれた方たちばかりだった。その長いキャリアの中で積み重ねた経験により、人が育てられるということもあるが、それは品性あってのことだ。そもそもの品性がなければはじまらない。お会いしたすべての女優たちはみな、品性の人だった。第5号の表紙で草笛光子さんとご一緒願った萩原朔美さんが、草笛さんが醸し出す雰囲気は常に品性をいうドレスを纏っていると言い、「演技に対する真摯な熱情が品性を生成し醸造しているから」ではないか、と言っていたが、それは表紙を飾っていただいた20人すべての女優さんたちに当てはまるような気がする。編集者冥利につきるすばらしき時間を過ごすことができ幸せである。

error: Content is protected !!