途中、静かに溢れる涙がとまらなくなった。この温かい涙が流れるのはなぜだろう、と不思議だった。母親のクリスタル(カトリーヌ・ドヌーヴ)と息子、バンジャマン(ブノワ・マジメル)の永遠の別れが迫っている悲しみではない。不治の病に侵され先立つ息子をいたわる母親の気持ちを慮ってのことではない。全編を通して、泣け、泣けと迫ってくるようなシーンはない。しかし、末期ガン患者を追う深刻で残酷な物語でありながら、穏やかに泣ける。なぜだろう、と振り返った。
バンジャマンがドクター・エデ(ガブリエル・サラ)に救いを求めた冒頭の出会いのシーンで、「ガンになったことを恥じているか」と尋ねる。「恥ずべきことではない」という意を込めて。この言葉に涙の核心があった。そしてエデは、膵臓ガンのステージ4は治せない、余命僅かと告げる。誰だって死にたくない、自暴自棄は当たり前。でも、死にゆく男に医師は言う。「命が絶える時が道の終わりですが、それまでの道のりが大事です」と。静かな口調にもかかわらず確信をもって化学療法を促す。残された時間、病状を緩和させ日々の生活の質を維持するための化学療法に、「一緒に進みましょう」と寄り添うような姿勢と対話、励まし、眼差し。そうか、この医師の患者に対する人間的な包容力と誠実さが、心を打つのだ。
死を覚悟した瞬間から人はどんな生き方ができるか。余命を告げられカウントダウンが始まったらどうなのか。医師は最後まで誠実に、正直に、まっすぐに患者と対峙する。たとえ残された時間はわずかでも生きることを投げ出すことがないよう、真剣に向き合おうとする、患者に母親にそして家族に。
付記:監督・脚本のエマニュエル・ベルコは2015年『太陽のめざめ』から7年を経て、フランスを代表する女優、カトリーヌ・ドヌーヴと本作で2022年セザール賞最優秀男優賞を受賞した演技派ブノワ・マジメルを再び起用し、共演を実現させたことだけでも大いに魅力的だ。だが、本作はさらに驚くべきキャスティングに成功している。監督エマニュエル・ベルコと、ドクター・エデ役の奇跡的な出会いである。医学博士でありニューヨークの〈マウント・サイナイ・ウェスト病院〉医療部の上級指導医であるガブリエル・サラとベルコの出会いがなかったら生まれなかった物語なのである。つまりドクター・エデは、本物のガン専門医だったのである。日本の医療現場ではまずあり得ない患者たちのためのタンゴの公演会や音楽によるセラピーなどのシーンは、実際にドクター・サラが病院で企画してきたものだという。そしてドクター・エデが発した言葉の数々は、ドクター・サラ自身の言葉だった。
本作の鑑賞後、自らの生のみならず、すべての生きとし生けるものたちに優しい眼差しを向けて、生きていることの喜びを噛み締めたくなるのは、筆者だけではないだろう。人生は捨てたもんじゃない。
文:村澤 次郎
『愛する人に伝える言葉』
配給:ハーク/TMC/SDP
10月7日(金) 新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座 他全国ロードショー