萩原朔太郎の没後80年を記念して、「萩原朔太郎大全2022」が前橋文学館をはじめ全国52カ所で開催されている。文学館や図書館、大学で、日本の近代詩を代表する詩人「萩原朔太郎」をそれぞれの切り口でひも解くという面白い試みである。
世田谷文学館では、「月に吠えよ、萩原朔太郎展」と題し、残された膨大な原稿やノートの資料、朔太郎に触発された現代の作家たちによる作品を通して萩原朔太郎が〝孤独〟の先に見たものに迫る。
展示された朔太郎の自筆原稿などからその創作活動が伺える。驚かされるのは朔太郎が音楽や、水彩画、デザイン、写真など様々な芸術に親しみ、多彩な才能の持ち主であったことである。音楽家になる夢もあった朔太郎だが、代々医業を営む家系ではそれも許されなかった。父に買ってもらったマンドリンに親しみ、自身主宰の「ゴンドラ洋楽会」(後に「上毛マンドリン倶楽部」に改称)で演奏会を開く。「機織る乙女」というマンドリン独奏曲も作曲していたのだ。現在も前橋市では、朔太郎に因んだ音楽祭「マンドリンオーケストラ演奏会」が開催されている。
また、日本を代表する彫刻家の舟越保武による《萩原朔太郎像》や、漫画家・清家雪子による『月に吠えらんねえ』も出展。『月に吠えらんねえ』は第20回文化庁メディア芸術漫画部門新人賞を受賞した作品でもある。今でいう〝イケメン〟朔太郎は、肖像作品の題材にされている。
自動からくり人形作家のムットーニは、朔太郎の詩作品を愛する一人。「猫町」「風船乗りの夢」など、これまで数々の詩や小説を独自の解釈で作品化しているが、人形と機械装置、光と闇、音楽と語りなどを織り交ぜ、美しく怪しい詩の世界を体験し、朔太郎の詩の中に入り込むのも面白い。
朔太郎は開業医の父の期待と母の溺愛を受け、経済的に恵まれた環境の中で成長する。しかし小学校時代は周囲になじめず、本や音楽を通し未知の世界に憧れた。故郷を離れた東京で家庭生活を始めるが、離婚により家庭生活は壊れ、娘2人を連れて帰郷を余儀なくされる。40代後半に下北沢に移り住み、2年後には代田に家を新築し晩年を過ごし、55年の生涯を閉じた。
朔太郎は、1923年(大正12)に第二詩集『青猫』を刊行した。青猫は、英語のBlueの意味を含んだ〝物憂げなる猫〟を表す。そして、この詩を書いたころ「私の生活のいちばん陰鬱な梅雨時」と「青猫を書いた頃」の中にある。本展のチラシやポスターに「青猫」のイラストが使われてることに合点がいった。館内に掲げられた詩から、朔太郎の心の叫びが聞こえてくるようだった。
『月に吠えよ、萩原朔太郎展』
会期:開催中~2023年2月5日(日) *月曜日休館、月曜日が祝日の場合は翌日休館、年末年始(12/29~1/3) 会場:世田谷文学館(東京都世田谷区南烏山1-10-10 問い合わせは、03-5574-9111)