21.11.01 update

シャンパーニュの森を愛したラリックの仙石原へ

籏 章洋
箱根ラリック美術館 館長


ハレの日の食卓はラリックが飾っていた

 箱根ラリック美術館は、私の父、籏 功泰(かずやす)が40年以上の歳月をかけて蒐集したルネ・ラリック(1860~1945)の作品を展示しています。父は凝り性で粘り強い性格でした。コレクターは一人のアーティストから同時代の絵画などに目移りしていくものですが、父はラリック一辺倒でした。父のおかげで、私が幼少の頃からラリックの作品は生活の中で使われる身近なものでした。これは、大切なお客様のおもてなしに使うもの、これは、正月に親族が集まるときに使うもの、特別なハレの日の食器というように、日常使いだからこそ光り輝くものだと、幼心に感じていました。

 ラリックは、人生の前半をジュエリー作家、50歳を過ぎてからはガラス工芸を手がけたフランスのアーティストです。パリに拠点はありましたが、作品は世界中に広がっていて、父に命じられ、彼の足跡をたどって作品を集めることは大変なことでした。作品を探し、買い付けをし、船便で送られてきた木箱から自分たちで作品を傷つけないように取り出す。それは、宝のようなラリックの作品を家族だけで楽しんだ濃密な時間でしたが、合わせて父のラリックの作品に対する愛情の深さを思い知りました。

2005年3月開館。ルネ・ラリックの ジュエリー、花器、香水瓶、室内装飾など約1,500点を収蔵、約230点を常設展示している。

 父が美術館を造りたいと言い出した時も、箱根が一番いい、箱根しかないと、思っていました。というのも、シャンパーニュ地方のアイ村で幼少期を送ったラリックは、そこで、植物や昆虫に親しみ自然に向かい合い、それが作品のモチーフになっています。祖父の別荘が仙石原近くの乙女峠にあり、私にとって箱根は小さい頃から訪れる大好きな場所でした。美術館を造るなら、そんな自然に親しんだラリックのように、森の土を踏んだ感触がわかる、足元の自然を肌で感じられる場所がいいと思っていました。地形は蝶の形で、小川も流れ、ラリックの作品に寄り添うような、美しい自然が残っていたのです。

髪飾り「二頭のトンボ」1903-05年頃。ラリックのモチーフは自然が多く、ラリックが描いた植物は何科の何属というところまで写実的だ。

 美術館の経営は決して易しいことではありませんが、岐阜で材木商から身を起こした祖父は、建てた映画館を引き受けたことで文化的な事業を展開することになり、父が引き継いできたのです。ラリックの美術館と籏興行の文化はぴったりとマッチしていました。私も覚悟を決めて父の傍で美術館の経営をじっくりと取り組んできたのです。

『ニュー・シネマ・パラダイス』上映の記憶

 建築工事に取り掛かろうとする直前に「オリエント急行」が売りに出されるという情報が入り、スイスのチューリッヒまで交渉に行きました。オリエント急行には、ラリックが室内装飾を手がけた車両があったのです。その車両の中に罐詰になり、コーヒーとサンドイッチをいただきながら交渉しました。チューリッヒの高原の山並みが非常に美しく、その原体験が忘れられないものとなりました。幸いにも購入できることが決まり、急遽美術館の設計を変更し工事は大幅に遅れましたが、サロンカーの中で寛ぎながら優雅にティータイムを楽しんでいただける場を作ることができたことは嬉しいことでした。生活の中でラリックの作品に親しんだ私は、できれば、ショーケースの外から作品をみるのではなく、自然光の中で、輝く美しさを見ていただきたいと思うことがあります。展示室の中に入るのも、中庭を渡るというアプローチを経て、ラリックの世界に浸り、そのあと、また中庭を抜けて、食事やショッピングを楽しんでいただくという作りになっています。そういった距離感を大切にしています。

ラリックが装飾を手掛けたオリエント急行の室内。落ち着いた雰囲気で旅の気分に浸りながら、ティータイムを楽しむことができる。

 前述したようにラリック美術館の母体となる籏興行は、「シネスイッチ銀座」などの映画館を運営しています。映画館の運営の経験が美術館の運営の思いにつながったと思います。銀座の真ん中で、映画に浸り、四丁目の和光さんの角を曲がったら、街に浸って食事やショッピングを楽しむひとときを過ごしてもらいたい。箱根も銀座と同じで、訪れた人たちの心を満たしてくれるところだと思っています。箱根には自然があり、温泉やたくさんの宿泊施設など心身ともにリラックスできる条件がそろっています。箱根仙石原は、美術館が多い文化ゾーンになりました。その地域の一番星を目指しているわけではありません。他の美術館やホテル旅館等箱根で事業をされている皆さま方と共に箱根を盛り上げていきたいと思っています。

 ミニシアターとしてのシネスイッチ銀座は、『ニュー・シネマ・パラダイス』を40週ものロングラン上映するという記録があります。「家内とデートであの映画を観た」、「女子大生のときに観た」とみなさん、誰と来たか、鑑賞後に何を食べたのか、どこに立ち寄ったのか、しっかり記憶されています。それは文化を提供する身としてはこの上なく幸せなことです。それと同じような経験を、ラリック美術館でも味わってほしいと願っています。


はた あきひろ
1967年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、信託銀行入行。その後映画配給会社を経て、11年に籏保全代表取締役。16年より箱根ラリック美術館館長兼務。

映画は死なず

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