<木下恵介アワー>に何作も出演を重ねている。まずは68年から69年に放送されていた山田太一脚本の「3人家族」。竹脇は仕事ができる上に、父親や弟にも深い愛情を示す長男を演じていた。だが、恋には不器用で、遅咲きの恋愛が、栗原小巻を相手に展開された。登場人物たちがぎすぎすしていない、人の心を思いやるやさしい人間たちで、気持のいいドラマだった。矢島正明のナレーションが効果的に登場人物の心情を代弁していた。そして、同じく山田太一脚本、栗原小巻共演の70年から71年に放送された「二人の世界」。出演者の一人、あおい輝彦が歌った同名主題歌もヒットした。竹脇と栗原は当時、相手役としての共演作が多く、69年の「夫婦の設計」では、2人でテレビガイド誌の表紙も飾っている。81年にTBS創立30周年記念作品として3夜連続で放送された大型時代劇「関ケ原」でも、竹脇が細川忠興役、栗原が正室の細川ガラシャ役で共演している。また、山田太一作品で言えば、77年には、八千草薫の不倫相手を演じた「岸辺のアルバム」もある。最初の登場は電話の声だったが、美声で知られ〝マダムキラー・ボイス〟ともてはやされたアナウンサー、ニュース映画解説者として人気があった父・竹脇昌作ゆずりの素晴らしい声だった。
それ以前にも、木下惠介脚本の「もがり笛」(67年~68年)や、木下惠介監督、阪東妻三郎主演の49年の映画『破れ太鼓』をヒントにしたテレビドラマ「おやじ太鼓」(68年と69年)に出演している。松竹出身の竹脇は木下惠介監督のお気に入り俳優の一人だったことがわかる。「おやじ太鼓」は、八方破れでワンマンな頑固者で家族全員から恐れられているが、家族への深い情愛も持ち合わせる主人公である大家族の家長を演じたのは、東映時代劇の悪役にも定評があった進藤英太郎だった。愛すべきカミナリ親父を演じた進藤は、父権が失墜しつつあった当時にあって、昭和のホームドラマの父親としてお茶の間に愛された。竹脇は長女・香山美子の恋人役だった。
昭和世代の多くの人々の記憶にある竹脇無我と言えば、70年に第1部がスタートした時代劇「大岡越前」での大岡忠相の親友で医師の榊原伊織役、そして同じく70年から77年に第5部まで作られた森繁久彌と親子を演じたテレビドラマ「だいこんの花」ではないだろうか。元巡洋艦艦長で、昔の栄光を引きずっている父と、適齢期を迎えている控えめでハンサムな設計技師の一人息子との心の交流を丁寧に描いたホームドラマで、通算100回以上の放送回数を数えるヒットドラマとなった。第一シリーズが放送された70年は、水前寺清子、山岡久乃、石坂浩二らが出演した「ありがとう」や、森光子主演の「時間ですよ」も放送が始まった年で、ホームドラマの当たり年だった。このドラマをきっかけに竹脇は森繫を〝オヤジ〟と呼び、その後も多くの作品で共演し、私生活でも実の父親のように慕っていた。
「だいこんの花」の脚本家には向田邦子もいて、竹脇は多くの向田作品に出演している。交友が始まったのは「ヤング720」で、以来、「S・Hは恋のイニシャル」、竹脇が主役の次郎長を演じた「清水次郎長」、岸惠子、中田喜子、岸本加世子、山﨑努、津川雅彦、笠智衆らと共演した「幸福」などがある。雑誌のインタビューだっただろうか、好きな俳優はと問われた向田邦子は竹脇無我の名を挙げている。「どこか面倒くさそうに、やる気のなさそうに芝居をしている」、そこがいいと言っていたように記憶している。竹脇は、向田の葬儀で弔辞を読んでいるが、「向田さんは僕のような役者をわかってくれる数少ない一人だった」と言っている。竹脇の命日が8月21日、向田邦子の命日が8月22日で、姉と弟のように心の通じ合った2人だったのだと思わずにはいられない。沢田研二が光源氏を演じた向田邦子脚本の80年の「源氏物語」では、竹脇は頭中将を演じているが、石井ふく子プロデュースによる92年の「源氏物語」(脚本は橋田壽賀子)にも、竹脇は同役で出演している。
単発ドラマ時代の東芝日曜劇場でも石井プロデュースによる20作以上のドラマに出演し、石井演出の舞台にも出演していた竹脇無我。親交の深かった石井は、俳優たちとの交友を綴った著書『お蔭さまで』で、「二枚目であるということが面倒くさいと思っているのか、とにかく二枚目であることに無頓着なのだ」と竹脇を語っている。リハーサルのときなども、じれったくなるほどまったく精彩がないと言い、それが画面に映ると「彼のうつろな目でボソボソッとしゃべる姿がリアルで、そこで初めて、ああ彼はここまで計算して演技していたのかと感心させられてしまう。しかし、計算していないのかもしれない……」と俳優・竹脇無我を評価している。もしかしたら、計算などしていなかったのかもしれない。そう考えるほうが、竹脇無我らしいように思わせる不思議な俳優でもある。
竹脇無我が生きていたら、そして、向田邦子が生きていたら、竹脇にどんな役を書いていただろう。そして石井ふく子プロデューサーは、どんな役でドラマに起用していただろうかと、つい想像してしまう。加藤剛、緒形拳、原田芳雄、細川俊之、林隆三、古谷一行、津川雅彦……昭和のテレビの俳優たちが忘れ去られるのが寂しい。
文=渋村 徹
※プロマイドの老舗・マルベル堂では、原紙をブロマイド、写真にした製品を「プロマイド」と呼称しています。ここではマルベル堂に準じてプロマイドと呼ぶことにします。
マルベル堂
大正10年(1921)、浅草・新仲見世通りにプロマイド店として開業したマルベル堂。2021年には創業100年を迎えた。ちなみにマルベル堂のプロマイド第一号は、松竹蒲田のスター女優だった栗島すみ子。昭和のプロマイド全盛期には、マルベル堂のプロマイド売上ランキングが、スターの人気度を知る一つの目安になっていた。撮影したスターは、俳優、歌手、噺家、スポーツ選手まで2,500名以上。現在保有しているプロマイドの版数は85,000版を超えるという。ファンの目線を何よりも大切にし、スターに正面から照明を当て、カメラ目線で撮られた、いわゆる〝マルベルポーズ〟がプロマイドの定番になっている。現在も変わらず新仲見世通りでプロマイドの販売が続けられている。
マルベル堂 スタジオ
家族写真や成人式の写真に遺影撮影など、マルベル堂では一般の方々の専用スタジオでのプロマイド撮影も受けている。特に人気なのが<マルベル80’S>で、70~80年代風のアイドル衣装や懐かしのファッションで、胸キュンもののアイドルポーズでの撮影が体験できるというもの。プロマイドの王道をマルベル堂が演出してくれる。
〔住〕台東区雷門1-14-6黒澤ビル3F