プロマイドで綴るわが心の昭和アイドル&スター
大スター、名俳優ということで語られることがない人たちかもしれないが、
青春の日々に密かに胸をこがし、心をときめかせた私だけのアイドルやスターたちがいる。
今でも当時の映画を観たり、歌声を聴くと、憧れの俳優や歌手たちの面影が浮かび、懐かしい青春の日々がよみがえる。
プロマイドの中で永遠に輝き続ける昭和の〝わが青春のアイドル〟たちよ、今ひとたび。
企画協力・写真提供:マルベル堂
映画『高校生と女教師 非情の青春』に出演していた峰健二を見たとき、どこか日活の人気スター赤木圭一郎に通じるものを感じた。峰の役は、父親に妾がいることで、何かとふてくされている高校生だった。どこか、人生にすねたような、だが、純な心の持ち主というような役柄と、その表情が、赤木圭一郎を感じさせたのだ。その峰健二が後の峰岸徹だった。この映画は、峰岸徹のデビュー作で、大学を出たばかりの女教師を白川由美が演じていた。当時、その風貌から、峰健二は、〝赤木圭一郎の生き写し〟とまで言われていたようだ。さらには、赤木圭一郎がそう呼ばれたように、峰もまた〝和製ジェームズ・ディーン〟と呼ばれていた。1962年の公開時、僕はまだ小学校の低学年だったから、公開時に映画館で観ているはずもなく、その後、何かのきっかけで劇場で観たのか、あるいはテレビで観たのかもしれない。
峰健二は、61年に結成された、当時流行の最先端を行く六本木に集まる若手の俳優やクリエーター集団<六本木野獣会>に属しており、そのほかのメンバーには、後に「ドラゴンクエスト」で知られる作曲家すぎやまこういち、田辺靖雄、大原麗子、小川知子、かまやつひろし、中尾彬、井上順、レーサーの福澤幸雄らがいて、飯倉にあるキャンティでは彼らが集うサロンとして、文化の花が開いた。
峰岸徹という俳優が僕の記憶に残ることになったのは、62年から64年まで、日曜の夜にNHKで放送されていた人気ドラマ「若い季節」からだったと思う。銀座のプランタン化粧品を舞台にした、都会的センスにあふれた歌と笑いの青春コメディで、当時、NHKでなければ集まらないと言われた超豪華キャストによる生放送ドラマだった。淡路恵子、水谷良重(現・八重子)、黒柳徹子、沢村貞子、三木のり平、渥美清、森光子、ハナ肇とクレージーキャッツ、坂本九、古今亭志ん朝、小沢昭一、スパーク3人娘(中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり)、藤田まこと、有島一郎、伴淳三郎、西郷輝彦、あおい輝彦などなど。峰岸は社長淡路恵子の甥の役だったと記憶している。その当時もまだ、峰健二である。
峰健二は、俳優座養成所の16期生であり、古谷一行、太地喜和子は同期である。そして文学座研究生を経て68年に、田宮二郎に続く看板スターとして大映との契約を機に、峰岸隆之介と芸名を改めた。隆之介時代には、日本映画テレビプロデユーサー協会が選定するエランドール賞新人賞を、生田悦子、中山麻理(当時は麻里)、丘みつ子、谷隼人、高橋悦史らと受賞している。