プロマイドで綴る わが心の昭和アイドル&スター
大スター、名俳優ということで語られることがない人たちかもしれないが、
青春の日々に密かに胸をこがし、心をときめかせた私だけのアイドルやスターたちがいる。
今でも当時の映画を観たり、歌声を聴くと、憧れの俳優や歌手たちの面影が浮かび、懐かしい青春の日々がよみがえる。
プロマイドの中で永遠に輝き続ける昭和の〝わが青春のアイドル〟たちよ、今ひとたび。
企画協力・写真提供:マルベル堂
星由里子さんが亡くなったのは2018年のこと。訃報が届いたとき、僕は取材先の鎌倉にいた。一瞬、何が何だかわからなくなるくらい呆然となった。少し前に亡くなられた夏木陽介さんのお別れの会に星さんは発起人として名を連ねていたが、会場にお顔が見えなかったので、気にはなっていたが、癌を患っていらしたことは死後に知った。早いもので、来年は七回忌を迎える。小学生のころから、頻繁に両親に映画に連れて行ってもらっていたので、子供にしては映画俳優の名前をよく知っていた。そのころの僕のお気に入りは、浅丘ルリ子、鰐淵晴子、そして星由里子だった。
星由里子と言えば、加山雄三主演の『若大将シリーズ』のヒロイン「澄ちゃん」だ。僕と同じくらいの年代の男の子たちは、加山雄三の若大将に憧れをもちつつ、同時に「澄ちゃん」こと星由里子に淡い恋心を抱いていたはずだ。
星由里子は、1959年に『すずかけの散歩道』で、東宝からスクリーンデビューした。60年には、同時期にデビューした浜美枝、田村奈巳と合わせて〝東宝スリーペット〟として売り出され、映画が量産されていたプログラムピクチャーの時代を代表する女優になっていった。60年代前半には、毎年10本前後の映画に出演していた。星由里子に限らず、そのころの各映画会社所属の女優たちは、かけもちで自社の映画に出演していたのだ。東宝の藤本真澄プロデユーサーからは、「田中絹代、高峰秀子に次ぐスター女優に」と期待された。
61年に『若大将シリーズ』の第1作『大学の若大将』に出演して以来、68年の『リオの若大将』まで、星由里子は11作にわたってヒロイン「澄ちゃん」として出演し続けている。美人で清楚で、清潔感があり利発で、しかも芯は強く、しっかりと自分の意思を持ち合わせた魅力的な現代女性、そんなヒロインだった。〝明るく楽しい東宝映画〟の正統派ヒロインの系譜と言えよう。この路線の先輩には司葉子がおり、星由里子の次世代には酒井和歌子や内藤洋子がいる。当時のプロマイドの売り上げでも上位にランクインしていた。62年には、「ミラノ日本映画見本市」に、東映の佐久間良子、日活の吉永小百合らとともに東宝の代表として出席している。