また、同時期に出演していた、テレビの「木下恵介アワー」の「喜びも悲しみも幾年月」での、男木島灯台の灯台守の役も印象に残る。また、単発ドラマ時代の東芝日曜劇場の作品、昭和42年の北海道放送制作のドラマ「雪の城」で、三上は雪山登山で山に散った北海道大学山岳部の学生を演じていて、2、3年前にCS放送の日本映画専門チャンネルで観ることができた。こういった古い作品がアーカイブとして保存され、放送されるのは、ありがたいことだ。三上真一郎の新たな魅力に触れた思いだった。また、舟木一夫、松原智恵子共演の連続レテビドラマ「雨の中に消えて」で、同郷の仲良しということで松原、広瀬みさと東京で同居生活を送る伊藤るり子の憧れの高校時代の先生として三上がゲスト出演した回の、先生と女子高生との山小屋でのエピソードも、記憶に残っている。
だが、三上真一郎の出演作で、好きなのは昭和37年の小津安二郎監督の遺作『秋刀魚の味』である。娘・岩下志麻を嫁がせた父・笠智衆の老いの孤独を描いたこの映画で、三上は末っ子の学生・平山和夫を演じていた。ラスト近く、娘を嫁がせた夜、「一人ぼっちか」と酒を吞み、薄暗い台所で酔い覚ましの水を飲む父・笠智衆。三上がボソッと声をかける。「おい、父さん、あんまり酒吞むなよ」。このぶっきらぼうなセリフが印象的だった。優等生のできた息子というより、どこか不器用だが、憎めない青年。そんな息子の言葉から、父親への愛情が、深く伝わってきた。平成15年に小津安二郎生誕百周年記念のドラマスペシャルとして、テレビで放送された「秋刀魚の味」にも三上は父親の同級生の役で出演していた。そのときの和夫役を演じたのは、玉木宏だった。
三上は、平成13年に『巨匠とチンピラ 小津安二郎との日々』を上梓している。三上は昭和35年の映画『秋日和』で、小津安二郎と出会う。三上が演じたのは、原節子の亡夫の友人・平山の息子幸一。平山幸一という役名は、『秋刀魚の味』でも、三上が演じた和夫の兄の役名として、登場することになる。佐田啓二が演じていた。著書には、小津から「才能はないなあ」と言われながらも可愛がられたという、小津と三上の、他の俳優たちとの関係性では見られない、心を許し合った者同士の心の交流が読み取れる。小津と三上は〝師弟の契り〟を交わしていたという。三上のことを〝シン公〟と呼ぶ小津を、〝珍妙なおじさん〟と紹介し、三上は〝不肖の弟子〟を自認していた。小津組のスタッフたちからも、小津は三上を息子のように可愛がっていた、という証言も伝わる。もし、小津が作品を撮り続けていたなら、「才能はないなあ」と笑顔でボヤキながらも、三上真一郎を起用し続けていただろう。小津が次回作にと予定していた作品で、小津に代わり渋谷実がメガホンを取った『大根と人参』にも、三上は出演している。
松竹を離れた後も、『仁義なき戦い 頂上作戦』『皇帝のいない八月』『野性の証明』『戦国自衛隊』『極道の妻たち 最後の戦い』など、多くの映画に出演しているが、やはり、『秋刀魚の味』のラスト・シーンを今一度見直してみたい。
文:渋村 徹(フリーエディター)
※プロマイドの老舗・マルベル堂では、原紙をブロマイド、写真にした製品を「プロマイド」と呼称しています。ここではマルベル堂に準じてプロマイドと呼ぶことにします。
マルベル堂
大正10年(1921)、浅草・新仲見世通りにプロマイド店として開業したマルベル堂。本年は創業100年記念のアニバーサリーイヤーに当たる。ちなみにマルベル堂のプロマイド第一号は、松竹蒲田のスター女優だった栗島すみ子。昭和のプロマイド全盛期には、マルベル堂のプロマイド売上ランキングが、スターの人気度を知る一つの目安になっていた。撮影したスターは、俳優、歌手、噺家、スポーツ選手まで2,500名以上。現在保有しているプロマイドの版数は85,000版を超えるという。ファンの目線を何よりも大切にし、スターに正面から照明を当て、カメラ目線で撮られた、いわゆる〝マルベルポーズ〟がプロマイドの定番になっている。現在も変わらず新仲見世通りでプロマイドの販売が続けられている。
マルベル堂 スタジオ
家族写真や成人式の写真に遺影撮影など、マルベル堂では一般の方々の専用スタジオでのプロマイド撮影も受けている。特に人気なのが<マルベル80’S>で、70~80年代風のアイドル衣装や懐かしのファッションで、胸キュンもののアイドルポーズでの撮影が体験できるというもの。プロマイドの王道をマルベル堂が演出してくれる。
〔住〕台東区雷門1-14-6黒澤ビル3F
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