第8回 東宝と成城商店街のディープな関係  

1932年、東宝の前身であるP.C.L.(写真化学研究所)が
成城に撮影用の大ステージを建設し、東宝撮影所、砧撮影所などと呼ばれた。
以来、成城の地には映画監督や、スター俳優たちが居を構えるようになり、
昭和の成城の街はさしずめ日本のビバリーヒルズといった様相を呈していた。
街を歩けば、三船敏郎がゴムぞうりで散歩していたり、
自転車に乗った司葉子に遭遇するのも日常のスケッチだった。
成城に住んだキラ星のごとき映画人たちのとっておきのエピソード、
成城のあの場所、この場所で撮影された映画の数々をご紹介しながら
あの輝きにあふれた昭和の銀幕散歩へと出かけるとしましょう。


成城シネマトリビア

文:高田 雅彦

 前回は、成城の商店街が東宝やその他の映画会社の作品において、いかにオープン・セットの役割を果たしたかについて述べさせていただいた。京都にも撮影所が集中した時期があったが、こちらは時代劇が中心であったため、街の風景、ましてや商店街が写る映画などは稀であった。してみると、このような街は日本国中探してもここ成城だけであり、筆者が当地を‶日本のハリウッド〟と呼びたくなる気持ちも、よくお分かりいただけるものと思う。

 さて、その成城駅前商店街の一店「成城凮月堂」は、大正7年(1918)の創業。昭和5年(1930)に現在の場所(成城駅北口)に店を移したというから、P.C.L.(のちの東宝)がやってくる前から、この地で菓子作りに勤しんでいたことになる。当菓子店の店先では多くの映画が撮影されているので、ここで何本かご紹介させていただきたい。


昭和15年(1940)の、成城小学校児童による「皇紀2600年祝賀」日の丸行列。バックには成城凮月堂の店頭が見える 写真提供:成城学園教育研究所

現在の成城北口駅前。80年以上経っても、ニイナ薬局と凮月堂は変わらず営業中(筆者撮影)

 一本目は、小林桂樹が‶御用聞き〟に扮した、その名もずばり『御用聞き物語』(正続篇/57年:丸林久信監督)という東宝映画。昭和30年代、駅前以外に商店がほとんどなかった成城のようなお屋敷街においては、御用聞きという職業は必要欠くべからざる存在であったようで、P.C.L.社長・植村泰二のお嬢さん、泰子さんらが書き残した書物(註1)には、「当時は、日用品はなんでも御用聞きと電話で間に合わせる暮らし」と記されている。当凮月堂でも、店員が毎日お菓子の見本を家々に持参しては、注文によって配達を行っていたという。

 実際、江利チエミ主演の『サザエさん』シリーズ(56~61年:青柳信雄監督)では、脱線トリオの由利徹、南利明、八波むと志にダークダックスなどの面々が、成城や桜丘(にある設定)の磯野家に御用聞きに訪れるシーンがしばしば見られる。

 大学生で「三河屋酒店」の御用聞きを務める小林桂樹は、もちろん学生服姿。現在の大学生でこんな格好をしている者は皆無だが、当時はこれが当たり前。『若大将』シリーズの田沼雄一(加山雄三)も当然ながら、学生服での通学であった。

 本作は、やはりクリーニング店の御用聞きに扮する中村メイコ(註2)との交流を軸に物語が進行。「成城凮月堂」や「ニイナ薬局」、「きぬた屋」(蕎麦屋)、「アート商会」(クリーニング屋)の店先のほか、街角に掲げられた「木下病院」などの看板も見られることから、成城の街のあちこちでロケが行われたことが分かる。


(左)昭和33(1958)年の成城凮月堂店頭 写真提供:堀芳郎氏 (右)「成城凮月堂」前ですれ違う小林桂樹ら御用聞きたち イラスト:岡本和泉

 もう一本、当店の様子が見られる作品に『こんにちわ 20才』(64年:森永健次郎監督)という日活映画がある。『青い山脈』等でお馴染みの石坂洋次郎の小説『若い娘』の三度目の映画化(註3)となる本作では、主人公一家の五女・田代みどりが通う高校が成城学園でロケされているほか、四女(主人公)の吉永小百合が買い物に出るシーンが成城北口商店街で撮影されている。凮月堂とニイナ薬局の前を歩く吉永(十代後半!)の姿を拝めるだけでも、これは非常に心躍る作品である。

  三本目は、少し時代が下った1970年公開の大映映画『新高校生ブルース』(帯盛迪彦監督)。関根恵子と内田喜郎が主演し、高校生の性のモヤモヤを描いた作品だが、内田が同級生の水谷豊らと新宿までナンパに出向くのは、ここ「成城学園前」駅から。内田らは石井食料品店前(まだ果物店の様相が色濃い)を通って駅に向かうが、当然のことながら向かい側には凮月堂の店舗が見える。


『新高校生ブルース』撮影当時の成城北口駅前。左は石井食料品店 写真提供:成城学園教育研究所

 ここでいよいよ肝心な話。当「成城凮月堂」では、ふたつの東宝映画で大変重要な小道具が作られている。

 ひとつめは、黒澤明が自らプロダクションを興して製作した第一回作品『悪い奴ほどよく眠る』(60年)。美術小道具を担当した浜村幸一氏によれば、映画の冒頭で土地開発公団副総裁(森雅之:旧制成城高等学校出身)の娘(香川京子)の結婚式に届けられた、ビル型(八階建て。形はまるで丸ビル)のウエディング・ケーキは、当店の製作によるものだという。

 これは、その後に繰り広げられる娘婿(三船敏郎)による復讐劇を暗示する、非常に重要な小道具で、ビルの窓に刺されたバラの花が大きな意味を持っているのは、黒澤映画ファンならよくご承知のことであろう。ケーキの建物部分は別の店で造ってもらったもの、と証言する美術スタッフの方もいらっしゃるが、筆者が当店現社長の堀芳郎氏に伺ったところ、確かにその時期、東宝からケーキの発注があったことを示す書類が残っているとのこと。いずれにせよ、この映画に登場するウエディング・ケーキの一部が当店製であったことは間違いない。


丸ビルを模したウエディング・ケーキ。本作を愛好するF・コッポラ監督は『ゴッドファーザー』(72年)で、同じように結婚式から映画をスタートさせている イラスト:岡本和泉

 これは、黒澤プロとして四作目となる『天国と地獄』(63年)撮影時のエピソード(註4)。

 誘拐犯人(山崎努※現在の表記は山﨑)からの指示を受け、身代金の入った鞄を抱えて「特急第2こだま」に乗り込む製靴会社常務・権藤金吾(三船敏郎:名前は原作の主人公・キングのもじり)。実はこのシーン、彼の後方に座る乗客は、仲代達矢や加藤武扮する刑事たちを除けば、すべて成城で集められたエキストラだったのだ。

 権藤の乗る車両は「一等車」で、これは現在の「グリーン車」に当たる。上記の措置は、当該車両に相応しい乗客はハイクラスな成城の紳士淑女しかいない、との監督の意向(これぞ究極の黒澤リアリズム!)を受けてのものであり、改めて画面をご覧になれば、どなたも心から納得されるに違いない。


マタンゴを口にして妖艶さを増していく水野久美
イラスト:岡本和泉

 ふたつめが、本多猪四郎と円谷英二のコラボによる怪奇映画『マタンゴ』(63年)(註5)。筆者が小学生のときに見て、夜電気を消して眠ることができなくなった超怖い映画の一本である。繰り出したヨットが遭難し、無人島に漂着した若者たち(久保明、水野久美、佐原健二、土屋嘉男、太刀川寛他)が難破船で遭遇する‶キノコの化け物〟(演ずる俳優は天本英世:食べ物のない孤島で唯一口にできるのがマタンゴなるキノコで、これを食べると人間がキノコ化してしまう)に、心底からの恐怖を覚えた小学生はかなり多かったはずだ(註6)。

 

 その食用小道具が当店製と知ったのは、だいぶのちになってからのことだが、堀社長註7の話(当時の菓子職人の証言)では、マタンゴはメレンゲ製だったとのこと。道理で、水野久美が美味しそうに食べていたわけである。

 いまだ、もうひとつの洋菓子店「アルプス」(註8)が開店する前の昭和30年代、成城凮月堂が東宝に様々な洋菓子=小道具を納品していたことは確か。スタッフの誕生会や打ち上げパーティーなどでの発注もしばしばだったというから、ここからも映画全盛時代の撮影所と商店街間の密接な関係がうかがい知られる。

(註1)植村の長女・中江泰子さんと井上美子さん(どちらも成城学園出身)による著『私たちの成城物語』(河出書房新社/1996年)には、成城学園や東宝の黎明期のエピソードが満載である。

(註2)この映画を見たラピュタ阿佐ヶ谷の観客からは、「中村メイコがあんなに可愛かったなんて!」と驚嘆の声が上がった。メイコはこの年、本作の音楽を担当した神津善行と結婚、その後長らく成城の地に住み続けることになる。

(註3)最初は千葉泰樹監督、杉葉子主演(51年/東宝)、二度目は岡本喜八監督、雪村いづみ主演(58年/同)で映画化(題名は両作とも『若い娘たち』)。母親の意向により、姉三人がすべて自宅の二階に下宿した学生と結ばれた石沢家の四女・カナ子の〈母親への反抗〉が描かれるのは三作とも同じだが、明朗さは日活映画の本作が一番か?

(註4)『天国と地獄』で誘拐された子供(島津雅彦)が描いた絵(拉致されていた家から見える富士山や犯人の姿)を実際に描画したのは、成城学園初等学校の隣にある「祖師谷小学校」の生徒の一人。これは、この生徒の美術教師・O先生に絵を習っていた犬童一心監督から聞いたトリビア話で、『どですかでん』(70年)の‶電車バカ〟六ちゃんが描いた電車の絵も、O先生の生徒たちから集められたものだったという。

(註5)「原案」には、福島正実と星新一がクレジット。星が意見を寄せたというラスト・シーンの久保明の横顔は、今でも恐ろしくて正視できない。

(註6)本作の併映作は『ハワイの若大将』。子供も見に来ると踏んだ東宝宣伝部は、〈懸賞塗り絵〉なる宣材を製作・配布している。いかに「バヤリースオレンジ1年分」が当たるとはいえ、こんな怖いキャラの塗り絵に挑んだ子供は果たしていたのだろうか? 

(註7)聞けば、当店社長・堀氏のご夫人は、『マタンゴ』出演俳優・KHの姪御さんであるという。もしやこの映画のご縁か、と問う筆者に対し、堀社長は全く関係なく縁を得たと返答。これも実に奇遇な話である。

(註8)こちら「アルプス」の店頭(旧店舗)は、円谷プロ制作のテレビ作品『快獣ブースカ』(66~67年)第12話と第20話で見ることができる。第12話では、ブースカが店内のデコレーションケーキを覗き見て「美味しそうだなぁ」と舌なめずりするシーンがあるので、この快獣がラーメンだけでなくお菓子も好物だったことが分かる。


たかだ まさひこ
1955年1月、山形市生まれ.生家が東宝映画封切館「山形宝塚劇場」の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。大学は東宝撮影所にも程近い成城大を選択。卒業後は成城学園に勤務しながら、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)がある。近著として、植木等の偉業を称える『今だから! 植木等』を準備中(今秋刊行予定)。

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