ジュリー&ショーケン 成城に現る!


第14回 成城シネマトリビア─語り継ぐ映画村─

文:高田 雅彦


1932年、東宝の前身である P.C.L.(写真化学研究所)が
成城に撮影用の大ステージを建設し、東宝撮影所、砧撮影所などと呼ばれた。
以来、成城の地には映画監督や、スター俳優たちが居を構えるようになり、
昭和の成城の街はさしずめ日本のビバリーヒルズといった様相を呈していた。
街を歩けば、三船敏郎がゴムぞうりで散歩していたり、
自転車に乗った司葉子に遭遇するのも日常のスケッチだった。
成城に住んだキラ星のごとき映画人たちのとっておきのエピソード、
成城のあの場所、この場所で撮影された映画の数々をご紹介しながら
あの輝きにあふれた昭和の銀幕散歩へと出かけるとしましょう。

 

 現在、六十歳以上になっている方なら誰もが心奪われたに違いないのが、グループサウンズと呼ばれたバンド群。1960年代後半に人気全盛を誇った通称‶GS〟が、日本のロック(今で言うJポップ)の礎を築いたことは言うまでもない。そして、これらの中で最も大きな(特に女性)人気を集めたのが、ザ・タイガースとザ・テンプターズの両バンドであった。

 日本の映画界においては、観客が減少傾向を見せる前から、歌謡界やテレビの世界で人気者となった歌手を撮影所に招き、主役や助演に据えるのは当たり前。これにより、ひばり、チエミ、いづみの‶三人娘〟はもちろん、舟木一夫、橋幸夫、西郷輝彦の‶御三家〟、フランキー堺、植木等、加山雄三といった、本来は音楽家であるタレントたちが続々と〈映画スター〉の座を獲得する。1965年(昭和40)から69年(昭和44)までの僅かな時期ではあったが、ザ・スパイダースをはじめとするGSの面々も映画のフィールドに引き込まれ、観客動員の一翼を担わされていた。

 タイガースのヴォーカリスト・沢田研二は、現在の姿からは想像もつかない貴公子然とした風貌から、‶ジュリー〟の愛称で親しまれ、彼を主軸に据えた映画が何本か作られている。今回は、GS‶二大アイドル〟のジュリーとショーケン(テンプターズの萩原健一)が成城の街に姿を現した映画をご紹介してみたい。

 タイガース人気にあやかった映画の第一作目は、ビートルズ映画(特に『ハード・デイズ・ナイト』)に誘発されたと思しき『ザ・タイガース 世界はボクらを待っている』(68年/和田嘉訓監督)(註1)。所属事務所の渡辺プロが東宝と組んで製作したファンタジーSFだが、『怪獣大戦争』(65年)に登場したX星人の円盤の使い回しや、お金がかかっていそうもないセットの様子を見れば、日本映画の凋落ぶりは明らか。それでも、ジュリーやタイガースの面々が出てくるだけで、映画館は興奮に包まれたものだった。

 本作は、地球に不時着した‶アンドロメダ星の王女〟シルビィ(久美かおり)とジュリーによるロマンス物語の合間に、タイガースの歌を聴かせるという、のちのPVのようなもの。内容的にも特筆すべきものはなく、相手役を演じた久美かおり(同じく渡辺プロ所属)がジュリー・ファンから睨まれたことだけは確かだ。

 京都から上京したタイガースが、実際に合宿生活を送ったのは千歳烏山のアパート。ジュリーがデビュー曲「僕のマリー」を自ら買い求めたのも、千歳烏山駅前にあったレコード店だったという。しかしながら、本作における彼らの合宿所は、成城学園前駅南口から徒歩数分のところにあるマンション「Sコーポ」(映画では「静風マンション」)の一室に設定。当マンション斜め前の家(註2)では、熱狂的なジュリー・ファンの高校生・小橋玲子(註3)が父親の小沢昭一と暮らしている。

 刑事を職業とする小沢は、日劇でファンの負傷事件を起こしたタイガースに張り付くよう命じられているのだが、当の本人たちがいるとは知らずに、騒音を発する向いのマンションへ抗議に出向く。父を止めようとする娘の小橋は、タイガースのメンバーがリハーサルをしているのを見て、感激のあまり失神(!)。あくる朝には、裏口から走り出て送迎バス(運転手はなべおさみ)に乗り込むメンバーの姿も目撃する。このとき、彼女がジュリーと見間違える住人は石橋エータロー(相変わらずのおネエ言葉が可笑しい)。このギャグにクレージーキャッツ好きの筆者は大いに笑わされたが、女性客に受けた気配はまったくなかった。

 なお、小橋が夢で見る「落葉の物語」の歌唱シーンが成城でなく、田園調布のいちょう並木でロケされているのは、こちらのほうが坂道で高低差があり、絵になったからであろう(註4)。

『世界はボクらを待っている』で成城ロケが行われたのは、ここ! 「静風マンション」に化けた「Sコーポ」は、54年後の今も現役である。(筆者撮影)

 本作はある意味、人気絶頂のメンバー(中でも‶星のプリンス〟と呼ぶに相応しいジュリー)の姿を見、歌を聴くためだけの映画である。いわばアイドル映画であり、のちに沢田研二が『太陽を盗んだ男』(79年/長谷川和彦監督)や『ときめきに死す』(84年/森田芳光監督)、『リボルバー』(88年/藤田敏八監督)といった硬派作品=シビアな役柄ばかり選ぶようになったのは、本作をはじめとするタイガース映画に嫌気が差していたからに違いない。

 ジュリーと並ぶ、もう一方の雄・ショーケン(こちらは不良っぽさが売り)は、グループで『ザ・テンプターズ 涙のあとに微笑みを』(69年/内川清一郎監督)という東京映画作品に出演。だが、このGS映画では成城の北方、粕谷のガスタンク(現東京ガス世田谷整圧場)前で歌うシーン(註5)があるだけで、成城の街を歩くショーケン=萩原健一の姿を見るのは、神代辰巳監督の初東宝作品『青春の蹉跌』(74年)まで待たねばならなかった。この映画は脚本を長谷川和彦(のちに沢田研二主演で『太陽を盗んだ男』を監督)、音楽をザ・スパイダース出身でショーケンとはPYGで一緒だった井上堯之が担当しており、萩原のその後の役者としての方向性を決定づける作品となったことでも知られる。

 石川達三の小説の映画化となる本作は、題名どおり、司法試験合格と上流階級の娘との結婚を目論む苦学生が、殺人を犯したことで挫折する(殺されるのは桃井かおり!)アンハッピーエンドの物語。上昇志向を漲らせる青年を、萩原が微妙な陰りをもって演じている。

 そして、そのロケ現場こそ、成城学園正門傍にある桜並木通り。萩原が婚約者の檀ふみと自転車で戯れる、ラストシーン近くの撮影は、成城大生の通学路のすぐ先にあるこの通りで行われていたのだ(註6)。

ロケ現場は、いちょう並木沿いにあった宇津井健旧邸前の交差点を北に進んだ辺り。右手二軒目の家には悪役俳優の神田隆が住んでいた(筆者撮影)

 檀ふみの父親(高橋昌也:青年にとっては伯父にあたる)は成城に家がある設定で、萩原はこの伯父の援助により大学に通うことができている。キャンパス・シーンは日本大学商学部(砧五丁目:かつては新東宝撮影所だった)でのロケと見られ、実際、西通用門の前にあった喫茶店内でも撮影が行われている。

 注目すべきは、萩原が「さいたら節」(宮城民謡)をぼそぼそ歌いながら成城学園前駅改札口を出るシーン。当駅は、小田急では初となる二階部分に改札口がある〈橋上駅舎〉で、改札を通過した萩原は、伯父の家が駅の北側にある設定にもかかわらず、何故か南口方面の階段を降りていく(このシーンは、古くから成城にお住まいの方なら、伝言板やコインロッカーの様子を懐かしくご覧になったであろう)。

 アメフトの試合で首の骨を折り、主人公が自滅していくという結末も実にこの時代の映画らしく、井上堯之のテーマ曲が深い余韻を残す役割を果たしている。

ショーケンがぼそぼそつぶやきながら階段を降りていく「成城学園前駅」南口(76年撮影/成城学園教育研究所所蔵)

 その後もしばしば成城の街に現れたショーケン。マカロニ刑事に扮した人気テレビドラマ「太陽にほえろ!」(72〜73年)では、第一話から仙川沿いのアパートを張り込み。探偵事務所の調査員に扮した「傷だらけの天使」(74〜75年)でも、相棒の水谷豊と共にいちょう並木や住宅街を聞き込んで歩くなど、多くの成城ロケ作品(註7)を残している。


(註1)ザ・タイガースとともに、東宝にとって最後の‶頼みの綱〟的存在だったザ・ドリフターズ、コント55号の主演映画も手がけた和田嘉訓監督は、『ドリフターズですよ! 前進前進また前進』(67年)や『コント55号 世紀の大弱点』(68年)でも成城・大蔵ロケを敢行。前者では、旧成城警察署と『ウルトラQ』で一の谷研究所となった龍野邸、後者では、成瀬巳喜男監督の『女の歴史』(63年)でもロケ地となった大蔵団地や世田谷通りの様子を見ることができる。

(註2)生け垣と樹木に囲まれたこの平屋建て住宅は、成城に建つ家の典型的スタイル。のちにマンション「Sコンド」となり、榊原るみ主演の「気になる嫁さん」(71〜72年)や山口百恵・松田優作共演の「赤い迷路」(74〜75年)など、テレビドラマのロケ地として重宝されることに

(註3)小橋玲子の本作起用は、朝の情報番組「ヤング720」(67年~:TBS)での人気沸騰を受けてのものと思われる。同時期に出演の「怪奇大作戦」(68〜69年:円谷プロ・TBS)でもキュートな魅力をふりまいた小橋だが、1974年以降のメディア登場歴は確認できない。

(註4)ここでは、CMに出ていた某社のミルクチョコレートをジュリーが小橋に渡すという、粋な気配り(タイアップ?)が見られる。

(註5)東京映画の撮影所(世田谷区船橋三丁目:森繁久彌邸の隣地にあった)からも程近い、当ガスタンク前でショーケンが歌うのは「エメラルドの伝説」。

(註6)大学1年生だった筆者はこのロケを目撃。これが成城ロケ映画を探し求めていくきっかけとなる。

(註7)これらの作品に成城・砧・大蔵ロケが多いのは、撮影スタジオが隣町、砧の国際放映だったからであろう。他のGSでは、ヴィレッジ・シンガーズ(二人のメンバーが成城大学出身)とザ・ダーツが『思い出の指輪』(68年)、ザ・ワイルドワンズが同じ斎藤耕一監督の『愛するあした』(69年)で、成城のキャンパスやいちょう並木に姿を見せている。


高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。大学は東宝撮影所に程近いS大を選択。卒業後はライフワークとして、東宝作品を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆、クレージー・ソングのバンドでの再現を中心に活動。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同/2022年1月刊)がある。

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