旧渋沢家飛鳥山邸 晩香廬・青淵文庫
500 社にのぼる企業や銀行を設立し、日本の近代的経済社会の礎を築いた渋沢栄一(1840 ~1931)。氏が61歳から天寿を全うする91歳までの30 年を暮らしたのが桜の名所でも知られる飛鳥山である。残念ながら昭和20 年(1945)4月の空襲で日本館、表門、茶室など多くの建物を焼失したが、晩香廬・青淵文庫が残り、国の重要文化財に指定されている。晩香廬は喜寿を祝って大正6 年(1917)に現在の清水建設が贈った洋風茶室。晩香廬は「晩節を清く」という想いを込めて渋沢自らが命名した。煉瓦風タイルで造られた「寿」の文字や、釘を一本も使わない六角形の火鉢、照明には真珠のような光を放つ貝が使われるなど家具や調度品は、当時の面影を残している。青淵文庫は傘寿と子爵に昇格したお祝いに贈られたものだが、収蔵する予定の漢籍や書籍が焼失したため来賓の接客にも使われた。等身大の銅像は還暦祝いのものであるが、身長約5尺(約150センチという小柄な渋沢が残した業績は偉大である。
〔住〕北区西ヶ原2-16-1 〔問〕03-3910-0005
旧安田楠雄邸庭園
団子坂を上った千駄木の高台あたりは、文人や芸術家が多く住んでいたお屋敷町であるが、旧安田楠雄邸はその静かな住宅街にある。大正8 年(1919)に豊島園の創始者で実業家の藤田好三郎氏が建てた邸宅を、大正12 年(1923)旧安田財閥の創始者・安田善次郎氏の女婿の善四郎氏が買い取り長年安田家の住まいとなっていた。平成7 年(1995)に当主の楠雄氏が他界の後、夫人により(公財)日本ナショナルトラストに寄贈され現在はボランティアの方たちの運営で毎週水曜日、土曜日に公開されている。平成10 年(1998)に東京都の名勝に指定された。粋な意匠の欄間や唐紙を用いた襖などさりげなく贅が凝らされ、いずれの部屋からも庭がよく見渡せる。春はしだれ桜、秋は見事な紅葉が心を和ませてくれる。震災や戦災を免れた貴重な建築物であり、往時の空気をそのまま体感できる邸宅である。
〔住〕文京区千駄木5-20-18〔問〕03-3822-2699(公開時のみ)