2020年4月1日号「街へ出よう」より
大オーケストラの交響曲を大きなホールで聴く大音響の迫力は、
胸躍り心に響いて何にも代えがたい。大枚はたく甲斐がある。
だが待て、街には中型の名ホールが数あり、
その規模に合わせた見事なコンサートが企画されているのをご存知か。
演奏者の息遣いを感じられる室内楽にふさわしいホール、
指揮者の一挙手一投足を間近に音の波にたゆたう贅沢な空間がある。
時には街の名コンサートホールで耳を澄ませたい。
コンサートを聴きにゆく
一度は訪ねたい名ホール
文・太田和彦
昨年の秋、大阪フェスティバルホールで、一週間の間に大きなコンサートが二つ開かれた。
一つは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮クリスティアン・ティーレマン。曲目はR・シュトラウス交響詩「ドン・ファン」、オペラ「ばらの騎士」組曲など。料金S席37,000円、いちばん安いE席12,000円。あと一つは、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、指揮ズービン・メータ。曲目はブルックナー交響曲「8番」、R・シュトラウス交響詩「ドン・キホーテ」など。料金S席43,000円、
E席18,000円。案内は「あなたはウィーンフィル派? ベルリンフィル派?」と結ばれる。
ウィーンフィル、ベルリンフィルといえば世界最高峰のオーケストラ。指揮の二人は、今あぶらの乗った現役最巨匠は万人の認めるところ。それが同時来日して、相次いで公演するとは。私の好きな作曲家の双璧はR・シュトラウスとブルックナーでCDもいっぱい持っている。これだけの内容が出そろうことは二度とないだろう。
では行ったか?
行けなかったです、くやしいです、グヤジーでしゅ。ウィーンフィル派でもベルリンフィル派でもありまっしぇん。そんなにお金はないです。
都会の夜の喧騒が嘘のような音楽空間
ひろげたのは集めてきたちらし。
「紀尾井ホール クラシック×ジャズ2020 細川千尋プレイズ・ビル・エヴァンス ラヴェル・ジャズ」か。
ジャズも好きで、若い美貌の女性ジャズピアニスト細川千尋の名は知っている。故ビル・エヴァンスの内省的なジャズピアノはファンが多い。ラヴェルはもちろんフランス近代の作曲家。ジャズとクラシックの融合はおもしろそうだ。全席指定5,000円。よし、行ってみよう。
四ツ谷駅から四谷見附橋を渡って上智大学に沿うソフィア通りを、同じ方へ行く人たちの先は紀尾井ホールだろう。到着した角にはすでに入場を待つ列ができている。
紀尾井ホールは1995年、新日本製鐵(現・日本製鉄)の創立20周年を機に建てられ、クラシック・邦楽の二つのホールを持つ。天井高いホワイエはアイボリーホワイトの大理石でゆるやかに丸く、二階客席へ上がる曲がり階段は途中の踊り場が優雅だ。要所に制服の女性がやわらかく迎えてくれる。
クラシックホールはシューボックス型の800席。内装材はすべて赤茶に仕上げられた木張り、三角や半円の装飾はアールデコモダン。二階席上を一周して正面ステージ上に向かう二連柱の連続が気品をつくる。天井は吹き抜け風に明るく、シャンデリアが下がる。座席椅子は前にゆったり、背は高くクッションがつく。本日は完売満員だそうで、落ち着いた中年夫婦、音楽好き女性同士、白髪の老婦人、勤め帰りらしい一人サラリーマンなど男女半々。皆さんきちんとした身なりだ。
黒のドレスで登場した細川さんは、まずピアノソロでビル・エヴァンスの曲と自作曲。ジャズにしては知的な演奏だ。次いでバイオリン、チェロが加わってバッハとグノーのアヴェ・マリア。さらにベース、ドラムが加わり、変拍子の組曲風「ジャズ変奏曲」で白熱する。
小休憩の二階ロビー奥はスタンディングのバーコーナーで、コーヒーやハイボール、サンドイッチも。大きなガラス越しに見える、暗い森の奥に明るいホテルニューオータニ玄関が都会感を高める。花柄ドレスに着替えた後半はラヴェルの主題による「ジャズ狂詩曲」など、最後の自作初演「ソラカラミタラ」は新印象派風の名曲だった。
四ツ谷駅へ戻るのに真田堀の土手道の上を歩いた。下の広い運動場をはさんで、トンネルから出る地下鉄や中央線電車が交錯し、彼方には明かりを灯した新宿の高層ビルが並んでいる。音楽の余韻にひたるには最適の道だった。