2013年7月1日号「街へ出よう」より
文化、科学、文学、技術、交通に関するものや趣味の収集品としても
身近な切手、カメラ、カバンなどなど、その分野について、
幅広く知識を吸収できる工夫がされている博物館。
それぞれの歴史や最新情報など思わぬ発見ができる場所。
夏休みには子供たちの好奇心をそそる企画も盛り込まれ、
親子で、はたまた孫と一緒に出かけてみるのもおもしろい。
博物館の楽しみ
~工夫された専門知識収集の場~
文・太田和彦
木箱ラジオの放送を家族で聞いた記憶が今、よみがえる
まだ幼いころ、箪笥の上に置いた木箱ラジオから歌が聞こえた。
朝はどこから 来るかしら
あの空超えて 雲超えて
光の国から 来るかしら
いえいえそうでは ありませぬ
それは希望の 家庭から
朝が来る来る 朝が来る
『おはよう』『おはよう』
この歌詞は資料を見ないで書けた。恐ろしきは子供の記憶。もちろんすらすらと歌え、前奏メロディもハミングできる。安西愛子と岡本敦郎のはつらつとした声も覚えている。放送した「ラジオ歌謡」は新しい国民歌謡を提唱するNHKの番組で、戦後のスタートは昭和21年5月1日。私は同年3月3日生まれ。この曲「朝はどこから」は放送第二回の新曲。生後数ケ月もしない子供が憶えるわけはなく、おそらくその後の再放送を聞いたのだと思う。
私はなんと良い歌で、歌の記憶をスタートしたのだろう。外地で苦労した父は、信州松本での戦後の新生活出発に張りきり、食糧もない貧苦のなかでラジオを買い、早起きした一家は放送を聞きながら朝の支度をした。ラジオから流れるすべての放送が、今から我々が新しい日本を、民主的な国を作るのだという希望に溢れていた。歌の通り、朝は希望の家庭からやって来たのだった。
放送は明るい内容ばかりではない。夕方の番組「尋ね人」の「尋ね人の時間です」という陰気な出だしの声を憶えている。〈○ ○ 方面第○○連隊にいた△△さん、または△△さんをご存知の方は、日本放送協会までご連絡ください〉。淡々とした声を聞くたびに、北京の日本人収容所で私を生んだばかりの家族が、引揚船で生きて日本に帰れたことをかみしめた。
ラジオの前で一家が声をあげて大笑いしたこともよくあった。テンテケテンの寄席太鼓で始まる「ラジオ寄席」。
「柳亭痴楽はいい男、鶴田浩二や錦之助、それよりぐーんといい男」
当時人気の落語家・柳亭痴楽の十八番「痴楽青春手帳」をお調子に乗って真似する私を、たまの酒に一杯機嫌の父は笑い、つられて母も笑った。ラジオの鳴るときはいつも幸福だった。