その両側を見ながらゆっくり歩いた。一店ですべてまかなってしまう大型店はなく、家族経営の専門店ばかりが続く親密な安心感がいい。気づいたのはみな路上で買い物ができてしまう気楽さ。デパートや大型店の建物に入る息苦しさはなく、何度も前を往復して品定めができる。脇道には、おお!「戸越銀座温泉」だ。午後3時から深夜1時まで、日曜は8時から12時までの朝湯あり。「月の湯」は天然黒湯温泉・露天風呂・水風呂・サウナ・寝風呂・座風呂・超音波風呂、「陽の湯」は軟水炭酸泉(美肌の湯)・遠赤外線サウナ・電気風呂・スーパージェットバスと至れり尽くせり。買い物して、風呂入って、飯食って、整体して……、生きてゆくすべての手当てがここにある、いや葬儀社もあった。
宝物のような眺めと心豊かなひととき
道に面している焼鳥屋で数本買い、路上机でビールを飲みながら通りを眺めた。暮れゆく夕方を前に、ベビーカーを押す若いお母さん、買い物カートを頼る老人、医院から出てきた看護師さん、なんだか若いカップル、外回りらしいスーツの会社員、部活帰りの中学生など、誰もがゆっくり歩き、自転車を引いてゆく。ランドセルの女の子が数人、道角に座り込んで何か見ているのは宝物のような眺めだ。ここには平和がある。人の世を見ているのはなんと心豊かなことか。
星野さんは終章でこう書いている。〈若い頃、そういった下町のコミュニケーションが私は煩わしくて仕方がなかった。正直言えば、軽んじていた。人生には、そんなことよりもっと大切なことがあるだろう。(中略) いまはそのすごみがよくわかる。母はここで半世紀─父の場合は一生1 小さな反目や敵対はあっただろうけれども、さしたる波風は立たず、かといってここにどっぷりつかるわけでもなく、付き合いを断絶するわけでもなく、微妙な距離を保ちながら、この地域の人々と友好関係を築いてきた。並犬抵のことではない。母の生き方を真似しようとは思わない。それはさすがに無理だ。しかしせめて爪の垢くらいは煎じて飲みたい。だから私は、今日も商店街へ出かけるのだ。〉
商店街に学んだのは、毎日の人生を肯定してゆく姿だった。