今回の演出の鵜山仁と俳優・高橋惠子の出会いは2000年の新国立劇場での舞台『新・地獄変』だった。高橋惠子は、鬼のような母親の役。鵜山から、声がきれい過ぎるというダメ出しをされ、どうしたらいいのだろうと、舞台に積極的に向き合うようになって以来、俳優としての壁にぶつかった最初の作品だった、と述懐する。
「鵜山さんのおっしゃることは頭では理解できていて、演じていて楽しくはあったのですが、その役を自分のものにするまでにすごく時間がかかりました。でも、難産だっただけに思い出深い作品になっています。2年前の『黄昏』で久々にご一緒したわけですが、人間関係の表面的なところではなくて、心でこう思っているからこんな演技表現になるといったようなことを求められる演技指導が興味深く、今回の演出でも、通り一遍の表現で通用するほど人間の心というものは決して単純ではないのだということを感じさせてくださっているような気がしています」
1970年に関根恵子の名前で映画で主演デビューして以来、映画、テレビドラマといった映像作品を中心に活動していた高橋惠子が、心が舞台に向き合うきっかけとなったのは97年上演の蜷川幸雄演出の舞台『近松心中物語』だと言う。俳優として、もっともっと勉強したいと思わせてくれた作品だった、と6年前のインタビューで語っていた。そして、その想いは、才能豊かな劇作家や演出家と組んで、大劇場から小劇場まで、さまざまに舞台経験を積む中で育まれていき、体験したことのないさらにハードルの高そうな作品に出合うとき、俳優・高橋惠子の心が動くようになった。「いろんな作品や人に出会い刺激を受けることで、自分自身を磨く機会を与えていただけている、それが俳優という仕事かもしれない」とも語っていた。最近、その心境に変化があったようだ。
「これまでは、もっと勉強したい、もっと高いハードルを超えていきたいと、確かにそういうふうに思っていたところがありましたが、このところ、まったくそういうのがなくなって、もう少し気持を楽にもってというのか、がんばらないで、いろんなことをもっと味わって楽しみたいと、普段の生活でも思うようになってきたんですね。そんな年齢になったということなのかもしれません。年齢を重ねてくると、高みを目指すということとは違う、別の価値観に気づくのかもしれませんね。
エセルという今回の役柄も、活力もあるし、ユーモアもあるし、アクティブな女性ではありますが、それは自然に心が向いているだけで、必死にがんばっているわけではないと思うんです。ただ、そこにいて、日常の中で、たとえば小さな鳥を見て可愛らしいと感じたり、道端の花の美しさに気づいたり、何気ない中にもすばらしさを感じとる心の豊かさみたいなもの。ハードルを上げるというよりは、今、見えているものを楽しく味わえているところに豊かさがある、そんな心持で舞台に立っていられたらいいなと思うようになりました。そういう意味では、現在の私自身の心境、生き方を考える状況の中で、エセルと再びめぐり会えたのは、エセルという役を理解する上でも、前回よりもいいタイミングなのかもしれないですね」