16.04.01 update

久我美子と名監督たち

文=山川静夫

雑誌¿Como le va? vol.23 表紙・早田雄二写真シリーズ第3弾


いまでも日本映画史に残る純愛の名シーンとして語り継がれる『また逢う日まで』のガラス越しの口づけ。久我美子の清潔な美しさが印象づけられた作品である。旧華族の出身である久我美子は、いうなれば究極のお嬢様。
上流階級の中で長年つちかわれた高貴な品格のようなものはやはり自然とにじみでてくるものなのかもしれないが、黒澤明、溝口健二、小津安二郎、木下惠介といった名監督との出会いで久我美子は日本映画黄金期に演技の花を咲かせる女優となった。
そして、早田雄二の写真の中で久我美子はすばらしくフォトジェニックな輝きを見せる。ノーブルさゆえにちょっとインテリ的な冷たさを放つ美貌。写真家と女優の奇跡的な瞬間の一枚にわれわれは胸をときめかせる。

 大映映画『新・平家物語』(溝口健二監督)の中で、零落(れいらく)した貴族の娘を演じた久我美子のセリフに「礼儀や作法では生活の糧(かて)は得られませんもの」というのがある。

 華族の家に育った久我美子が、敗戦後の荒波の中を逞しく生きぬくために「東宝第一期ニューフェイス」に応募したのは、そんな心境ではなかったか。

 清純なイメージの久我は、三船敏郎らと共に合格。昭和二十二年『四つの恋の物語』(豊田四郎監督)でデビューする。

 ところで、久我さんと私の出会いは、昭和四十四年三月二十二日の放送記念日だった。内幸町のNHKホールで行なわれた「おたのしみグランドホール」という私が司会する番組のクイズコーナーにゲストの一人として出演した。それまで、久我さんには、ノーブルな冷たい美人との先入観があったが、まったく違う明るく気さくな印象で、品よくハキハキと応答していた。

 実は、この番組のディレクターは作家久米正雄の息子久米昭二で、妻君の歌手音羽美子は美男俳優平田昭彦の妹、その平田夫人が久我美子なのである。そんな縁もあってか、その後一年間、久我さんには「おたのしみグランドホール」の準レギュラーとなっていただいた。

 その後も、いろいろな場面で御一緒したが、平成二年一月二十八日「BS映画スペシャル」に、写真家の早田雄二さんと共に出演された時の印象が強い。黒の帽子、黒のブラウス、銀鼠(ぎんねず)の花柄の上着という久我さんと、飄々とした早田さんがなつかしい。内容は〝映画人が選ぶベスト10〟で、女優の部はすべて早田さんの写真で紹介された。

 ちなみに、この時の女優ベスト10は、このようなものだった。①原節子 ②田中絹代 ③高峰秀子 ④山田五十鈴⑤京マチ子と吉永小百合 ⑦若尾文子 ⑧久我美子 ⑨高峰三枝子 ⑩岸惠子。

 また、久我美子自身が気に入っているベスト3は、『また逢う日まで』『白痴』『挽歌』で、御本人は「私の演技力はすばらしくないけれど、私の出た映画がとてもすばらしかったのです」と、謙虚に話した。

 黒澤明監督の『酔いどれ天使』に久我美子が出演したのは昭和二十三年、十七歳の時である。黒澤はとても優しく、普通はスタジオに入ってからリハーサルが始まるのに、『酔いどれ天使』の場合は、それ以前に畳の部屋で念入りな本読み・立稽古(たちけいこ)を一ヶ月近くやってもらえた。黒澤に「君はこの映画のレモンスカッシュになってほしい」と言われ、のびのび演じることができた。これが久我美子の出世作となった。

 しかし、昭和二十六年の『白痴』の時の黒澤は違っていた。久我さんはふりかえる。

「ピアノを弾くシーンで、私は満足に弾けませんから、なかなか弾く格好がサマにならないのです。黒澤さんは決して許してくれません。私は『もう、デキマセン』と断わりました。すると『やる気がないからだろう!』と叱られ、カッと頭に血が上ってヤケでピアノをたたいたら、『出来るじゃないか、それでいこう』と、やっとOKになりました」

 黒澤のシナリオは、読んだだけでイメージが湧き出て「こんな映像を撮ってほしいな」と思える、みごとなものだったらしい。

 昭和二十五年の『また逢う日まで』の今井正監督は、演技に決して注文をつけず、ヒントも与えず、やさしく「やってごらんなさい」と言うだけ。演(や)ってみると、「違う」「どこか違うんだよなァ」と独り言のように今井は呟く。五十回も六十回もやらされ、「あんなに疲れた映画はありません」と久我さんは告白した。

 ガラス越しの接吻シーンは日本映画史上不滅の語り草になっているが、この接吻が間接だったことは当時の日本人の美意識に合致している。つまり、日本は恥らい多い〝間接文化〟の国だった。その後、昭和三十五年あたりから欧米の〝直接文化〟の影響をうけ、ラブシーンもあからさまになり、久我美子には似合わなくなったと私は思う。

 久我さんと御一緒した番組には、平成二年十一月の「日本映画黄金時代」もあり、この時は木下惠介監督と共に出演した。木下は、「ぼくが久我ちゃんを意識したのは『四つの恋の物語』です。ぼくは女優くさい人が駄目でね。ウブで品のある久我ちゃんをいつか撮りたいと思っていたんです」

 と、打明けた。美女が名監督をゆり動かし、『女の園』という名画は昭和二十九年に生れた。後進のヌーベルバーグ監督たちにも刺激を与えた作品である。

 この日、木下監督が「ぼくは日本の美しいものは守りたいのです。今の日本は汚れています」と、しみじみ話されたことが忘れられない。まさしく久我美子は〝日本の美しいもの〟だったと思わずにはいられない。

©Yuji Hayata/Marland

非常に個性の強い、いい顔をしている。
  ノーブルで、やっぱり品位があるよね。
 オードリー・ヘプバーンのように息の長い人だね。
         ────── 早田雄二(写真家)

 

くが よしこ
女優。東京生まれ。1946年、学習院女子中等科在学中に、第一期東宝ニューフェイスに合格、翌年『四つの恋の物語』で映画デビューを果たす。以後、黒澤明、今井正、溝口健二、小津安二郎、木下惠介など名監督たちの作品に出演し、昭和の日本映画を代表する女優になる。主な映画出演作に『酔いどれ天使』『また逢う日まで』『白痴』『あにいもうと』『にごりえ』『風立ちぬ』『女の園』『噂の女』『新・平家物語』『柳生武芸帳』『挽歌』『彼岸花』『お早よう』『青春残酷物語』『大坂城物語』『ゼロの焦点』『風林火山』『無能の人』『空がこんなに青いわけがない』『東京日和』など。54年に『女の園』ほかで毎日映画コンクール助演女優賞、56年に『夕やけ雲』『女囚と共に』『太陽とバラ』でブルーリボン賞助演女優賞受賞。また「旅路」「冬の旅」「新・平家物語」「それぞれの秋」「勝海舟」「華麗なる一族」「男たちの旅路」「春ひらく」「いのち」「都の風」「五稜郭」「課長さんの厄年」などテレビドラマにも数多く出演している。69年から1年間「3時のあなた」の司会も務めた。現在、渡辺プロダクションに所属。

やまかわ しずお
1933年静岡市生まれ。56年にNHK 入局、68年に東京アナウンス室勤務となる。74 年より9年連続で「紅白歌合戦」白組司会者を務めたのをはじめ、「ひるのプレゼント」「邦楽百選」「ウルトラアイ」など芸能、科学、教養番組などを担当。94年にNHK退局後はエッセイストとして執筆、講演などで活動。国語審議会委員、NHK用語委員などを歴任し、現在、「三越名人会」企画委員、ポーラ文化財団理事を務める。著作も多く『名手名言』で日本エッセイストクラブ賞『大向うの人々 歌舞伎座三階人情ばなし』で講談社エッセイ賞のほか、橋田賞特別賞、前島密賞、徳川夢声賞などの受賞歴がある。

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