歳を取ってきたのではない若さを重ねてきたのである
そんな草笛さんの東京での六月の芝居は、何度目かの再演『6週間のダンスレッスン』である。
この芝居の特異なことは、翻訳劇でありながら、不思議なことに草笛光子さんの実像とダブらせて観てしまう事<なのだ。
「この本を手にした時、まるで自分の事のように感じてしまった」という。
主人公の年齢と自分との近似。ひとり暮らし。残された時間がたとえ僅かであっても、楽しみを見つけようとする前望姿勢。失わない冒険心。亡くなった夫に対する感情。過去の自分との距離。どこかに草笛さんの心を揺すった要素があったのだろう。台本の中で「 ─── 一人は消え始めるの。レストランのウェイトレスは、私が目に入らない。お店の売り子は、私の頭越しに他の人と話をする。手を握ってくれている人がいれば、何とかちゃんと人の目に見える存在でいられるかもしれない。でも年を取った女は、夫がいなければ、完全に透明人間になってしまうの」というセリフが胸に残っているという。
寂しいつぶやきだ。歳老いると、人は透明人間になってしまうのだ。歳取って一番辛いのは、若い頃を忘れない事なのである。
それにしても、草笛さんは若い。実年齢と心身とが乖離している。芝居に取り組む姿勢が若さを保つ要因なのか。それとも、生来の品性が加齢を押し戻しているのだろうか。
実は原因は明瞭だ。草笛さんは今日まで歳を取ってきたのではない。若さを重ねてきたのである。当然なのだ。若さを重ねることが、女優という生き方なのである。
舞台人の宿命なのである。
撮影日の数日前まで舞台『6 週間のダンスレッスン』で全国を飛び回っていた草笛光子さんだが、その疲れを微塵も見せることなく現場に颯爽と登場。草笛さんとは初対面ということで珍しくネクタイ姿で現れた萩原朔美さん。「大女優に敬意を払いました」の発言でお2人の距離が一気に近くなった。
撮影協力:KINSMEN
くさぶえ みつこ
女優。横浜市生まれ。1950 年に松竹歌劇団(SKD)に5 期生として入団し、53 年には在籍中のまま映画『純潔革命』でデビュー。54 年にSKD を退団し、56 年には東宝専属となり映画・舞台・テレビで活躍。58 年から放送の音楽バラエティ「光子の窓」はオープニングで歌うテーマ曲も話題になり、テレビ史に残る作品となった。また、日本ミュージカル界のパイオニア的存在であり、『ラ・マンチャの男』のアルドンサ、『王様と私』のアンナ、『シカゴ』のロクシーなど数々の名舞台を見せている。映画『修善寺物語』『社長シリーズ』『ぼんち』『接吻泥棒』『娘・妻・母』『名もなく貧しく美しく』『女の座』『放浪記』『乱れる』『女の中にいる他人』『乱れ雲』『犬神家の一族』『挽歌』『悪魔の手毬唄』『獄門島』『櫂』『それから』『雪に願うこと』『沈まぬ太陽』、テレビ「細雪」「不信のとき」「繭子ひとり」「続・氷点」「バラ色の人生」「元禄太平記」「必殺心中仕事屋稼業」「熱中時代」「茜さんのお弁当」「宮本武蔵」「澪つくし」「渡る世間は鬼ばかり」「八代将軍吉宗」「あぐり」「葵 徳川三代」「利家とまつ」「エ・アロール」「結婚できない男」「どんど晴れ」、舞台『香華』『泥棒家族』『女の遺産』『光の彼方に』『ハムレット』『ウイット』『私はシャーリー・ヴァレンタイン』『グレイ・ガーデンズ』など多数の出演作がある。芸術祭賞を3 度受賞、99 年紫綬褒章、05 年旭日小綬章を受章。『老後の資金がありません』(21)
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。