1981年にフジテレビジョンに入社後、編成局映画部に配属され「ゴールデン洋画劇場」を担当することになった河井真也さん。そこから河井さんの映画人生が始まった。
『南極物語』での製作デスクを皮切りに、『私をスキーに連れてって』『Love Letter』『スワロウテイル』『リング』『らせん』『愛のむきだし』など多くの作品にプロデューサーとして携わり、劇場「シネスイッチ」を立ち上げ、『ニュー・シネマ・パラダイス』という大ヒット作品も誕生させた。
テレビ局社員として映画と格闘し、数々の〝夢〟と〝奇跡〟の瞬間も体験した河井さん。
この、連載は映画と人生を共にしたテレビ局社員の汗と涙、愛と夢が詰まった感動の一大青春巨編である。
映画館<シネスイッチ銀座>(1987/12月スタート)の発想は意外なところからスタートした。元々、ATG (日本アート・シアター・ギルドは1961年から80年代にかけて、非商業主義的な芸術作品を製作・配給し、日本映画史に多大な影響を与えた)や日活ロマンポルノを学生時代に多く観ていたせいで、もしかすると『南極物語』(1983)や『私をスキーに連れてって』(1987)は、自分テイストではないのではと思うことがあった。
メジャーなら『太陽を盗んだ男』(1979)のような映画をやりたかったがハードルは高い。『青春の殺人者』(1976)や『サード』(1978)、『天使のはらわた 赤い教室』(1979)サイズならローバジェットで製作出来るのでは……。
一方で、テレビ局の社員として「ゴールデン洋画劇場」では放映出来ない、僕が好きな地味目の映画を放送する方法はないか……を模索した。「ゴールデン洋画劇場」もパンフレットを制作していたが、深夜での放送で、ノーカットで、解説も付けながら映画枠を誕生させられないか……。映画好きの羽佐間重彰社長(当時の社長/大映出身)の英断で、本編放送内のCM無しの画期的な映画枠「ミッドナイト・アート・シアター」が、1987年4月にスタートした。
自分好みの『蜘蛛女のキス』(1985)や『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(1984)など、定期的にアートなパンフレットも制作して放送した。今、振り返るとCMスポンサーが無いのに、誰のためのパンフレット? と考えてしまうが……。色んな方に解説(講評)してもらうミニ番組などをつけたが、俳優の洞口依子さんの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』は今でも記憶に残っている。地上波民放でCM無しなど、今ならあり得ないだろう。ただ、このことが<シネスイッチ>への布石となったと思う。