続くは日活アクション映画のヒロイン・浅丘ルリ子。1955年に『緑はるかに』(井上梅次監督。製作は成城住まいの水の江瀧子)で銀幕デビュー、徐々にスターの階段を上っていった浅丘の出演映画にも、成城ロケ映画は存在する。一本目は、以前も触れた『女を忘れろ』(59年: 舛田利雄監督)なるハードボイルド・アクション映画。浅丘が通う東邦女子大学前にて、彼女の下校を待つのは小林旭で、当シーンは成城学園の正門前でロケされている。その門柱は、成城学園が1925年に牛込から移転してきた当時とまったく変わらず、現在でもその姿をとどめている。未だに学園内外を閉ざす門扉が設けられていないのは、ある意味奇跡的なことである。
ここでアキラは、ルリ子との会話を終えるや、馬ならぬ小田急バスに乗って当地を去っていく。この路線を走行していたバスは存在しないので、日活はわざわざ小田急からバスを借りてきて撮影したことになる。いかに〝マイトガイ〟であろうと、成城の並木道を馬で駆けさせるわけにはいかなかったのだろう。
ただ、同じ日活スターの二谷英明は、東宝作品ではあるが『はつ恋』(75年:小谷承靖監督)という映画で、成城学園内を流れる仙川沿いの小道を馬で走っている。息子役の井上純一とのロケ現場が成城大学の馬場だったので、こんな芸当ができたに違いない。
本作はツルゲーネフの原作小説を日本に置き換えたヴィヴィッドな文芸映画で、仁科明子(現亜季子)が体当たりの演技を見せたことでも大きな話題となった。荒井晴彦氏が本作を〝小谷承靖監督の最高傑作にして唯一の傑作〟などと、妙な褒め方で称賛していた(それも小谷監督を前にして)ことが思い出される。