「さすがフジテレビ!」の声も僕自身は、そんな境地ではなかった。やっぱり、映画を作るときはパッションと志を持たなくては……。何よりまずは企画の吟味が必要だ。それから3年間は、シネスイッチも含めると10本以上の映画に携わった。シネスイッチでは『新・同棲時代』(1991)に『きらきらひかる』(1992)。その他には、『マドンナのごとく』(1990)、『波の数だけ抱きしめて』(1991)、『パ★テ★オ』(1992)、『七人のおたく』(1992)、『病は気から 病院へ行こう2』(1992)、『眠らない街 新宿鮫』(1993)。さらに、僕自身の学生時代の体験をベースにした『国会へ行こう』(1993)……etc.1993年の<おおさか映画祭>では「よく(こんなに?)やったで賞」的な「特別賞」をもらった。
その間に、久石譲さんからコンサートのお誘いがあり、座席に付くと、隣は大林宣彦監督だった。終了後、楽屋に行くと、久石譲さんから大林宣彦監督を紹介された。『転校生』が大好きだったので、いつかこの監督と一緒に出来たら……というか、長く大林監督の音楽をやっている久石さんからは「是非、一緒に組んで!」と言われているような気がした。これが『水の旅人 侍KIDS』(1993)になる。
『タスマニア物語』で学習したことは、〝志〟とか〝信念〟を持った企画で勝負する、ということだった。
再び、フジテレビの上司からのお達し。『南極物語』以降、フジ製作の夏休み映画が3年以上間を空けたことはない。必ず、夏休み映画を製作してきた。とのことで『タスマニア物語』から3年後の1993年の〝夏休み東宝系公開日〟が先に決定した。
運よく『雨の旅人』(末谷真澄:著)の原作に出会えた、『ET』(1982)好きの僕には、やりたかったファンタジーものだった。しかも、末谷さんはシナリオも書いてみたとのことで、これが、とても良かった。またまた、時間もあまりなく、他に企画があるわけでもなく、すんなり決定した。そして、僕にとっては満を持して? 大林宣彦監督で行く旨の了解ももらった。ここまでは、何とツキがある人間だと思ったが、「天国と地獄は2つでセット」を味わうことになる。