その後、編集作業で東宝成城撮影所に殆ど、泊まり込み状態。撮影は無事? 終了したが、編集作業が延々と続き、ついに完成披露試写会の前日になった。僕も結局、撮影所で夜明けを一緒に迎えることになる。
日の出を見ながら、忘れられない監督の一言。
「河井さん、いよいよ『映画』らしくなって来ましたねえ……」
僕は、普通に睡眠したい派だが、監督は1時間くらい(の睡眠)がちょうど良いらしい。恐ろしい監督とご一緒したものである。結局、有楽町マリオンでの夜の完成試写会(そう、すでに7月に突入していた)の当日の朝なのに完成していない。
「監督、流石にもう(編集済みを)現像所に出さないと、今夜の試写会に、間に合わないんじゃないですか?」
「大丈夫。イマジカは優秀だし、慣れてるから!」
この言葉を信じ(騙され?)、9時過ぎまで作業は続いただろうか。現像所の完成予定は夕方になりそうで、果たして6時台のマリオン試写に間に合うのか……?
現像所と電話連絡を取り、タクシーで運んで渋滞にハマるとまずいので、フィルムを山手線で、五反田から有楽町まで手持ちで持ってきてもらうことになった。
フィルムは来ないのに、舞台挨拶は始まってしまう。普段は長~い監督の舞台挨拶を、こちら側は「出来るだけ短く!」と手信号を送ったこともあったが、今回は「延ばしてOK」と合図を送るしかない。そして、そこで観客席に向けて驚くべき監督の発言。
「皆さん。今夜、ご覧いただく映画は、ここでしかご覧いただけないものです。最後の仕上げの途中で……今宵限りの……」
「それって、未完成?完成試写会じゃないの?」という観客の声が、自分の心の中では拡散しつつも、現像所からプリントが届き、無事? 上映開始。プリントの一部に不具合がありつつも(当然、監督は承知の上でか)、何とか上映終了。
監督から「さあ、東宝撮影所に戻って続きやりましょう!」と、元気な声で……。
そこからまた数日ポスプロがあり、公開には間に合ったような。本当にちゃんと完成しているのか? それは、監督のみぞ知る状態……。とにかく全国の映画館で上映は始まった。
並行して宣伝展開もやっていたが、中味を、内容をアピールしてという所には持って行けなかった。あまりにカット数が多く、監督も「このカット数は新記録じゃないか」と……。久石譲さんの素晴らしい音楽は今回も存在しながら、映画の内容をしっかりと伝えることができなかったことは、此方の力不足で申し訳ない気持ちだった。
公開スタートは、予想通り? 低調かと思いきや、夏休みに入り客足が伸び、最終的には配収20億円(興行収入だと40億円弱)を越えるヒットに。配給関係からは「パート2」も! との声も聞こえてきたが、「あり得ません!」と言うしかなかった。
挫折感はなかったと思うが、「これじゃダメだ」とは強く感じた。同時に、自分の至らなさや未熟さを思い知った経験にもなった。プロデューサーとしての目論見、目標、そしてそこまでのプロセス……。ある意味では、スタッフ、キャストらの期待に応えられなかったこと。アメリカの「映画プロデュース講座」などを読みながら、いかに自分の、そして日本の映画製作が世界と異質であるかを考えさせられた。
そんな時、紹介で米米CLUBのカールスモーキー石井さんと会うことになった。また、同時期に、まだ映画を撮ったことがない岩井俊二さんに会うことになり、新たな展開がスタートする。
かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。