今年、社会では「ジャニー喜多川性加害」問題が大きな出来事になった。
「性加害」に関しては犯罪であり、刑事事件マターなのでここでは言及しない。
業界としての問題は〝忖度〟である。僕もフジテレビに在籍していたので、ほぼ実態は知っているつもりである。当時は〝忖度〟という言葉もなく、〝慣例〟で、そうなっていたと思う。
結局、最終的には、ジャニー氏の一言「海外に1か月も行ったら悪いこと覚えてくる」で出演は無くなった。マネージャーは前向きに頑張ってくれ、本人とは衣装合わせの打ち合わせもしていた。撮影まで1か月を切っていた。
その3か月後の1996年4月。フジテレビで、「SMAP×SMAP」がスタートする。この番組の企画段階(1995年後半)では、僕は「映画部」から異動で「編成部」におり、企画の立ち上がりから、その編成会議にも参加していたことになる。絶頂期のフジテレビで、自分も大好きな番組のひとつで、2016年12月まで続いた。
この番組を核として<ジャニーズ事務所>への忖度はとどまることがない程、各局、映画界にも拡がっていったように思う。よく「ジャニーズ事務所の言いなり」という誌面を見るが、まさにドラマも音楽番組も、ジャニーズ事務所のタレントを中心にキャスティングして行かざるを得なくなった。それだけ、魅力のあるタレントも多く在籍したという事でもあるのだが。
日本はアメリカなどと比べて、テレビも映画もオーディションで決まることは極めて少ない国だが、ある意味ではジャニーズ事務所のオーディションに夢を持ち、才能がある若者たちが応募して選ばれてきたということかもしれない。
プライムタイムのドラマの主演にはコンスタントにジャニーズのタレントが一番にキャスティングされ、多くの主題歌はその関連グループが歌うことが〝慣例〟になった。
それは「東京ラブストーリー」の「ラブ・ストーリーは突然に」(1991/小田和正)や「愛という名のもとに」の「悲しみは雪のように」(1992/浜田省吾)の決まり方とは違うのである。
作品に相応しいキャスティングや音楽のクリエイティブ面での弊害が、「ジャニーズ問題」の最も罪作りなところだったと思う。
個人的には、一度もジャニーズ事務所の俳優陣、アイドルとも仕事をすることが無かった。今回の事件後は、ノーマルなエージェントシステムの中で、才能のある人は活躍の場を拡げ、プロデューサーサイドとしては、役に相応しいキャスティングをしていきたい。