人生は縁である。
ここで過去の出会いが活きてくる。それはなぜか『水の旅人 侍KIDS』(1993)だった。久石譲さんの作曲で「あなたになら…」(作詞は中山美穂)を主題歌として制作した。ロンドンレコーディングを行ない、その時、中山美穂と映画に対する希望など色々話した。そこから彼女の映画のことはぼんやりと考えていて、紆余曲折はありながら『Love Letter』に結び付いた。製作出資金ゼロ、事務所の社長の大反対を覆してくれたのは意外なことにキングレコードだった。2つのハードルが一遍に解決に。
自分では『水の旅人~』の主題歌がそんなにヒットした実感がなかったが、当時、キングレコードの幹部の方々から大いに感謝された。ヒットのお返しに「河井さんが、もし資金的なこととかキングが協力できることがあれば言って下さい」との言葉を思い出したのだ。事務所の社長とキングの幹部は当然懇意で、どんな話が行なわれたのかはわからないが、両者からゴーサインが出た。
自分の出した提案は「ビデオ権のMGとして1億2000万円」だった。コピーライツ(製作著作)はフジテレビに残してもらった。フジテレビ時代に自分が関わった映画で唯一、ポニーキャニオンではなく、キングレコードからビデオが発売され、大ヒットセールスになった。今でもキングレコードの方々には感謝している。
これでシネスイッチ銀座で上映できる映画の製作までは漕ぎつけた。
小樽で10月撮影開始。岩井監督の希望もあり、日産のCM等の演出を依頼されたりする仲で、CM制作会社の<ROBOT>のスタッフと『Love Letter』を作りたいということになり、阿部秀司社長にお願いに行った。その後、映画界で大活躍されたが、先頃(2023年12月)亡くなられたことは残念で仕方ない。色んな迷惑をかけながら、この映画を誕生させていただいた。会社としては『Love Letter』が初めての長編映画への参加になったはずである。
1994年7月の初頭だったか、突然の異動の内示を受ける。入社から13年余り、映画部一筋だったが、今回の単独犯? としては、ある意味、当然の処置だったかもしれない。その夜、代官山で岩井監督と豊川悦司さんとのミーティングに行ったが、監督の「ここまで出来てるから何とかやれますよ」の言葉に救われ、映画部には担当プロデューサーが付いて引き継いでやってもらうことになった。
視聴率で何年も1位を独走しているフジテレビの中核、編成部の(ドラマ)企画担当になった。正直、ドラマのイロハはよくわからなかった。それでも2Hドラマの担当なので、中原俊監督らと何本かのドラマは作った。時間を見つけて、『Love Letter』の小樽の現場にも行った。
『Love Letter』は大ヒットではないが、確実に岩井俊二の名前を高めてくれた。嬉しかったのは中山美穂さんがブルーリボン賞などで主演女優賞に輝いた事である。その後、韓国などで上映され(今でも実写日本映画としては興行1位)、アジア中心に多くの人が支持してくれる映画になった。
振り返ると、たった1年ちょっとの編成部経験になったが、とても面白い時間を過ごさせてもらった。当時のフジテレビの強さを目の前で体験できた。一応、僕もその中のメンバーなのだが、周りは皆、僕はいずれ映画部に戻る、という認識だったように思う。
ある日、小泉今日子さんと、ドラマプロデューサーからの依頼もあり、編成担当としてキョンキョン主演の月9ドラマの企画を書いた。中味は大きく変更になり、最終的に「まだ恋は始まらない」(1995月10月期/脚本:岡田惠和)というタイトルで放映がスタートした。ただ、僕は、その時は既に編成部と、フジテレビから離れていた。
当時、キョンキョンに言われた一言「(河井さんと)やるなら、やっぱり映画が良い!」
これが決定打になった。
かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。