そんな状況の中、また救世主は小林武史さんだ。
主題歌「Swallowtail Butterfly~あいのうた~」(Yen Town Band)のメロディーを彼の事務所で初めてキーボードで弾いてくれた時の感激は今でも覚えている。映画の中でCHARAが歌う曲、そして何より劇伴が素晴らしい。
それでも、やや難しいテーマの映画で、音楽がヒットするかは公開直前までわからなかった。
映画の完成が公開直前になる中、主題歌は7月に発売した。連続ドラマの主題歌なら、1話目の放送後の発売が多かったが、2か月前に発売してランキングが下がっていくと公開時のアシストにはならなくなってしまう。しかもYen Town Bandとは何者か? 覆面バンド!?
小林武史氏は、オリコン初登場は30位とか50位もしれないが(その通りに)、徐々に上がっていくのでは? と預言者のようなことを言う。演歌じゃあるまいし……と疑心暗鬼の中、公開2週間前に、しっかりオリコン1位になり、「~あいのうた~」が『スワロウテイル』の主題歌であることが認知され一気に若者が映画館に詰めかけてくれた。10億円の興収を超えたヒットになった。
海外にも多く招待され、モスクワ国際映画祭のコンペティション部門にも岩井俊二監督と二人で行った。
主題歌CDとYen Town BandのCDアルバムは其々、オリコン1位を獲得し100万枚前後の大ヒットになった。僕にも、レコード会社(Epiソニー)も予測できないセールスになった。ポニーキャニオンから発売されたビデオもヒットした。
その後、美術監督の種田陽平さん氏は『キル・ビル』(2003/クエンティン・タランティーノ監督)など、現在は世界で活躍。助監督だった行定勲さんは『GO』(2001)、『世界の中心で愛をさけぶ』(2004)等、ヒット監督になった。アソシエイトプロデューサーの久保田修さんは『ジョゼと虎と魚たち』(2003)を作り、その後良作を連発、同じく前田浩子さんは『百万円と苦虫女』(2008)等を製作。関わったスタッフは、この映画がきっかけとなり羽ばたいた人も多い。これは嬉しいことだ。
また、宣伝などでWOWOWが番組などを制作してくれ、公開後は映画の放映も行なった。
ただ、未だにフジテレビでは放映していない。どんなにヒットしても、やはり視聴率は10%を上回る事はないと思う。フジテレビのその判断は正しかったと言える。
かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。