肝心の岩井俊二監督作品は誕生しなかったが、『ヤンヤン 夏の想い出』の日本での公開時に、劇場予告編などは彼が創ってくれた。その時、彼が言ってくれた「河井さん、このエドワード・ヤン監督の映画が生まれたことは凄いことですよ」を聞いたとき、一瞬「君の新作は……」と心の中で呟いたが、笑顔で返したと思う。
その年のアメリカの全米映画批評家協会賞で、全世界の作品から最優秀の「作品賞」に選出された。通常はこのままアカデミー賞の本命である。ただ、作品賞のノミネート条件はLAやNYで一定の商業上映を12月末までに行われていなければいけなかった。これは断念。そこで外国語映画賞狙いで慌てて渋谷で12月に上映を行った。しかし、アカデミー賞協会のこの映画の国籍は台湾に認定されていた(と思う)。台湾での公開は監督本人が(当時)望まなかったので見送っていた。ということでアカデミー賞からはノミネート段階で漏れてしまった。ルールを知らない僕のミスでもある。製作資金は日本、プロデューサーも日本だったが、やはりエドワード・ヤン監督の映画は台湾映画であるとのジャッジであろう。映画の国籍はますます判定が難しくなって来ている。
『ヤンヤン 夏の想い出』の後は、アメリカから誘われ、監督はLAに住んで、新作を開発していた。熱狂的な手塚治虫フリークでもある彼は初のアニメに挑んでいた。ところが2007年6月29日、LAの自宅で亡くなってしまう。まだ59歳だった。アメリカから戻ったら、最初の企画「シザース」は是非、やりたかった。今での彼の書いたシノプシスは僕の手元に残されたままだ。
エドワード・ヤンは亡くなってしまったが、『ヤンヤン 夏の想い出』は生き続けている。
英国映画協会史上最高の映画100(2022)にも選ばれた。
BBC(世界中の映画評論家)が選ぶ21世紀最高の映画ベスト100ランキング(2016)では8位。日本映画は『千と千尋の神隠し』が唯一4位に選ばれている。2000年のカンヌ映画祭で一緒だったウォン・カーウァイ監督の『花様年華』が2位。僕もこの映画は大好きだが、最初、プロジェクトで一緒にやろうとしていた監督でもある。
釜山国際映画祭が選ぶ史上最高のアジア映画トップ100(2015)では12位。1位はもちろん小津安二郎監督『東京物語』だ。ベスト10には『羅生門』『七人の侍』『悲情城市』『クーリンチェ少年殺人事件』など傑作が並ぶ。
他にも色々あるが、極めつけはアメリカ「ハリウッド・リポータ―」の批評家が選ぶ21世紀のベスト50(2022)。この雑誌は好きでよく読んでいた。ついに1位に選出されている。6位に『千と千尋の神隠し』、7位に『ブロークバック・マウンテン』、8位に『花様年華』、12位にアカデミー賞作品賞の『ムーンライト』、18位にカンヌ国際映画祭パルムドール『万引き家族』、21位に『パラサイト 半地下の家族』などが入っている。
エドワード! おめでとう! あなたの創った映画は永遠に愛され続けます。
かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。