—老体からは逃げられない。でも笑い飛ばすことは出来る—
萩原 朔美さんは1946年生まれ、11月14日で紛れもなく77歳を迎えた。喜寿、なのである。本誌「スマホ散歩」でお馴染みだが、歴としたアーチストであり、映像作家であり、演出家であり、学校の先生もやり、前橋文学館の館長であり、時として俳優にもなるエッセイストなのである。多能にして多才のサクミさんの喜寿からの日常をご報告いただく、連載エッセイ。同輩たちよ、ぼーッとしちゃいられません!
連載 第15回 キジュからの現場報告
60歳代のころ、どうも心と身体が一致していない違和感があった。心の方が、まだ30代、40代でいたのだ。だから、それを「年齢同一性障害」と呼んでいた。(笑)
「一体心はいつ歳を取るんだろう」
などと呟いて過ごしていたのだ。
ところが、さすがにキジュともなると、「年齢同一性障害」が治り始めた。身体が根を上げ始めると、急に心までが萎んでくる。心がラストスパートでスピードを上げて来た。もうじき並走しそうな勢いだ。やばい。
ふと、ニーチェの言葉が蘇ってきた。
「君は、自分を我と呼んでこの言葉を誇りにする。しかし、より偉大なものは、君が信じようとしないもの、すなわち君の肉体と、その大いなる理性なのだ。それは、我を唱えはしない。我をおこなうのだ」
偉大なものは、心よりも肉体の理性。肉体は、私は、私は、なんて言わないで、静かに私をおこなっている。
そう考えると、身体に心が追いつくなどと考えるのはおこがましいわけだ。
しかし、肉体の理性。それはなんなのだろうか。多分、身体が黙って日々おこなっていることの中に潜んでいるのだろう。お〜い!私の肉体の理性、今こそ立ち上がれ!
ふと誰かの詩のはじまりが浮かんできた。
「さや豆を育てたことについて
かつて、風が語らなかったように
船を浮かべたことについて
かつて、水が求めなかったように」
そんなようだった気がする。
肉体の理性は、きっと風で水なのだろう。
第14回 背中トントンが懐かしい
第13回 自分の街、がなくなった
第12回 渡り鳥のように、4箇所をぐるぐる
第11回 77年余、最大の激痛に耐えながら
第10回 心はかじかまない
第 9 回 夜中の頻尿脱出
第8回 芝居はボケ防止になるという話
第7回 喜寿の幕開けは耳鳴りだった
第 6 回 認知症になるはずがない
第 5 回 喜寿の新人役者の修行とは
第4回 気がつけば置いてけぼり
第3回 片目の創造力
第2回 私という現象から脱出する
第1回 今日を退屈したら、未来を退屈すること
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。