24.06.28 update

第14回【私を映画に連れてって!】 日韓合作によりヒーローの知られざる実像を炙り出した映画『力道山』

 香港人の行動は世界一速い。香港映画祭だったか、ピーターがセットして「記者発表」も行われ、タイトルは『春の日は過ぎゆく』(2001)とした。僕も参加し、ジャッキーも一緒だった。出演も何も無いが……。シム・ウナ無きあと、イ・ヨンエが主演してくれ、韓国で最も権威のある青龍映画賞では最優秀作品賞、東京国際映画祭の最優秀芸術貢献賞も受賞した。

 結局、日本は松竹が製作参加してくれることになり、その後は僕は一歩引いた。松竹のプロデューサーには感謝している。チャ・スンジェには当初、僕が出資の半分の調達を前提に進めていたので、大きくファイナンスは変わってしまったが、むしろ、成立したことに御礼を言ってくれた。韓国、香港、日本の合作となり、ピーター・チャンもしっかりプロデューサーにクレジットされている。

 その頃、日本で出版された『もう一人の力道山』(李スンイル:著)を読んだことから力道山の映画化への興味が俄然湧いてきた。

 力道山が朝鮮出身であることは何となく知っていたが、このノンフィクションを読んだ後は、これまでの認識とは全く違う力道山の姿を想像し、脳裏から消えなくなってしまった。

 正直、<力道山>に熱狂した世代からは10年以上遅れて生まれているので、当時の記憶はあまりない。ただ、日本で日本人としてスーパースターになった男が、遂に、死ぬまで祖国(北朝鮮)に帰ることは許されなかった。朝鮮戦争が起きなければ、北と南に分断され無ければ、娘や家族の待つ故郷に帰れたであろう、悲しい運命。光と影の物語だ。

好きだった映画『ガキ帝国』(1981)の井筒和幸監督は奈良高校の6年先輩である。井筒監督も力道山の映画には思いが強かったが、色んな理由で実現には至らなかった。力道山を扱うテレビ番組も殆ど無く、映画も無かった。

 リサーチしているうちに何故、<力道山>がテレビ番組「知ってるつもり」(NTV)にも取りあげられなかったのかが徐々にわかってきた。力道山(日本名:百田光浩)には息子さんが2人いて、共にプロレスラーだった。お兄さん(百田義浩)が2000年に54歳で急死された後、弟の百田光雄さんに会えたことで、企画は前に進みだす。お兄さんは生前、力道山にまつわる映像化に反対されていた。兄弟ともに父親の出生に関しては聞かされずに育ち、徐々に周りからそのことを聞くことになる。今さら、そのこと(親父の出生等)をほじくり出されることの不快な思いが反対の主な理由だったと聞かされた。今でもお会いした際の弟の光雄さんの言葉ははっきり覚えている。「親父が亡くなって(1963没)もうすぐ40年。これからもし40年、誰も力道山を語らなければ皆、力道山を忘れてしまう」

 百田家から、映画化の許諾はその後いただけた。

 日本の脚本家とシナリオ制作をしながら、大沢たかおさんにちょっと太ってもらって、筋力も付けてもらって……などと考えているときに、韓国のチャ・スンジェプロデューサーから連絡が入った。彼も<力道山>の映画化を、僕よりも前から考えていた。北朝鮮では英雄だが、韓国でもヒーローであると。その頃の韓国は、いつか北ともう一度一つの国になることを期待する人が多かった。それは力道山の願いでもあった。

 韓国の映画人も行動力はあり、いきなり韓国人監督(ソン・ヘソン)を渋谷のセルリアンタワーに連れてきた。僕は日本人監督を考えていたが、チャ・スンジェとソン・ヘソン監督のパワフルさに圧倒され、それもありかと。ただ、多くのシーンは日本であり、日本語映画とも言える。それでも、朝鮮人としての悩みや苦しみは、僕にはわからないことが多かった。シナリオも監督が書くことになった。

 その頃、チャ・スンジェは『殺人の追憶』(ポン・ジュノ監督)を製作中だった。韓国の現場に来てくれとのことで撮影場所を訪ねた。もう、数か月撮影しているが、終わりの気配は無かった。夜のシーンでは日本の照明と比較すると7~8倍の量で撮影していた。もちろん35ミリフィルムだ。しかもASA100と感度の悪いフィルム。これも監督の拘りだ。日本は当時、感度の良いHDメインの撮影に移行していた。ポン・ジュノ監督は今村昌平監督をリスペクトしていて「今村監督ならもっと凄い撮影してますよね」というような話をしていたと記憶している。ソン・ヘソン監督も今村昌平監督に傾倒していて、『うなぎ』(1997)なら全カット覚えていると、僕に各シーンの狙いを説明してくれるほどだった。

『Love Letter』(1995)が、韓国でヒットした1999年頃は、韓国の映画人たちに会うと「いつかは岩井俊二監督のようになりたい」と言う監督たちが大勢いた。ただ、『殺人の追憶』の現場にいて思ったのは韓国人の「映画」に対する向き合い方の真摯さ。それは企画のこと、脚本制作の長さ、撮影、ポスプロ、海外への目の向け方……あらゆる点において日本と比べて〝抜かれた感〟を覚えずにはいられなかった。結果、『殺人の追憶』(2003)は世界に通用する映画になった。この辺りがある意味では韓国映画の勢いの起点となった時期ではないか。そして16年後、ポン・ジュノ監督は『パラサイト/半地下の家族』(2019)でアカデミー賞に輝くのだ。

『力道山』の撮影にあたり、板門店、38度線の国境などにもシナリオ・ハンティングで訪れた。

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映画は死なず

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