筆者が同時代的に見た東宝映画で、加山雄三が俳優としての存在感を示したのは、岩内克己監督のサスペンス映画『恐怖の時間』(64)の他は、何と言っても〝東宝ニューアクション〟と称された銃撃戦もの。堀川弘通監督作『狙撃』(68)に始まる加山のガン・アクションには、ミュージシャンやアイドルの影は全く感じられず、そのニヒルでクールな佇まいに大いに痺れたものである。浅野内匠頭を演じても、姿三四郎に扮しても、若大将を感じてしまったことを思えば、これは俳優として非常に大きな進歩であった。
70年代に入り、東宝は若大将、社長、クレージー映画といった人気シリーズの製作を停止。加山も東宝を離れ、テレビの世界へと身を投じる(※2)。経営に関わった会社の倒産、飲酒運転スキャンダル、スキー場での大怪我など不遇の時代を経て、若大将シリーズのオールナイト人気で奇跡の復活を果たしたのもご存知のとおり。テレビドラマの代表作を挙げるのも憚られる程、加山は生涯〝若大将〟を貫いた(貫かざるを得なかった?)映画俳優なのであった。
若き日に『イキナリ若大将』なる8ミリ映画を作ったほどの加山フリーク・河崎実監督は、筆者の質問「加山雄三の東宝映画ベストワンは?」に応え、こう語ってくれた。
「加山は、結局のところ〝若大将〟。黒澤映画でも、所詮1ピースに過ぎない」(※3)。
この一言は、いかに加山が若大将と一体化していたかを示すだけでなく、他の映画での加山が、俳優としてこれ以上の輝きを放てなかった事実も示唆している。
さらに言えば、加山が音楽の才能を開花し、さだまさし、桑田佳祐ら音楽畑の後輩たちから熱い支持を得られたのも、無論若大将ありき。「田沼雄一」は映画の主人公であるとともに、音楽家・加山雄三の分身でもあったのだ。
2022年の「加山雄三ラストショー」のサブタイトル〝永遠の若大将〟に異論を唱える方は、ご本人も含め、恐らく一人もいらっしゃらないだろう。
※1 ドカベンを抱えて、茅ヶ崎から小田急で成城の撮影所まで通勤した逸話も残る。
※2 加山は黒澤から、会う度に「テレビに殺されるなよ」と言われていたという。
※3 ちなみに、河崎実監督が選ぶ〝若大将、この一本〟は『日本一の若大将』(62)。シリーズはこれにて終了する筈だったが、結局『若大将対青大将』まで16本(『歌う若大将』は含まず)作られることに。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。