カンヌには行けなかったが、ベルリン国際映画祭のフォーラム部門に選ばれ、ベルリンに行った。2000人前後が入る大劇場で4時間の映画がスタート。エドワード・ヤン監督のお陰で2000年のカンヌ映画祭上映では、物凄いスタンディングオベーションを味わった。一方で、カンヌでつまらないと思われると平気で皆、席を立つ。終わったら十数人しか観客がいなかった映画に遭遇したこともある。
外国人、しかもうるさ型の観客がこの〝ヘンタイ映画〟を最後まで、観てくれるのか? しかも、始まる直前に監督が「ちょっと外で飲んで来ます!」と。「えぇ~、上映中のリアクションとか見ないわけ~」と言ったような・・・。上映後はQ&Aがある。また、へべれけ状態で?? 実は小心者??
さすがに上映終わり直前には戻ってきた。一目で、「酔っている」。
会場が明るくなり、観客はみな、残っていた。大きな拍手とスタンディングオベーション。キリストを侮辱するようなシーンが多いのに大丈夫??
酩酊状態の舞台でのトークは、司会者を困らせ、NGワード連発、安藤サクラさんも苦笑するしか……ゴメンナサイ。
しかし、権威ある「カリガリ賞」を受賞。プラス、「国際批評家連盟賞」も獲り、2冠。実は、フジテレビに籍が戻っていたので、ベルリンは〝有給休暇〟で。ヴァージンアトランティック航空の格安往復66000円のチケット。隣の声が駄々洩れの狭い部屋。すべては懐かしい想い出だ。
国内でも毎日映画コンクールで監督賞受賞、西島隆弘&満島ひかりは多くの新人賞も獲得した。満島ひかりさんは、キネマ旬報助演女優賞などにも輝いた。安藤サクラさんの怪(快)演? も大きな評判になり、ヨコハマ映画祭では助演女優賞を獲得した。その後の、それぞれの活躍は此方も嬉しい。
園監督もその後『ヒミズ』(2012)ではベネチア映画祭でコンペティション部門に選ばれ、染谷将太&二階堂ふみは、マルチェロ・マストロヤンニ賞(俳優新人賞)に輝いた。僕は関わらなかったが、GAGAにいた時の後輩たちが中心になり、製作・配給も行った。
『愛のむきだし』から数年経ったあたりに、「5時間バージョン」の話が、時折聞こえてくるようになった。確かに、最初に観た時のインパクトは忘れない。
一緒に制作したプロデューサー陣や監督の本気さは持続していたらしく、J:COMが放送前提で資金を提供してくれ「5時間版」が復活し、放映された。
手元に、DVDを持っているが、未だに見ていない。なぜだかわからないが……。
かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。