
1981年にフジテレビジョンに入社後、編成局映画部に配属され「ゴールデン洋画劇場」を担当することになった河井真也さん。そこから河井さんの映画人生が始まった。『南極物語』での製作デスクを皮切りに、『私をスキーに連れてって』『Love Letter』『スワロウテイル』『リング』『らせん』『愛のむきだし』など多くの作品にプロデューサーとして携わり、劇場「シネスイッチ」を立ち上げ、『ニュー・シネマ・パラダイス』という大ヒット作品も誕生させた。テレビ局社員として映画と格闘し、数々の〝夢〟と〝奇跡〟の瞬間も体験した河井さん。この、連載は映画と人生を共にしたテレビ局社員の汗と涙、愛と夢が詰まった感動の一大青春巨編である。
これまで映画製作とともに毎回、音楽とも向き合ってきた。
最初の頃は、自分の好みの音楽を主題歌にしたいとか、全体像をあまり考えずに接してきたことが多かった。
それでも、音楽の神様がいたのか、良い形の場所へ導いてくれたように思う。
『炎のランナー』(1981公開)が第54回アカデミー賞(1982年3月29日)で作品賞・衣装デザイン賞・脚本賞・作曲賞を受賞した年は、ぼくがフジテレビに入社して、いきなり『南極物語』(1983)の製作に関わることになった年でもあった。
土曜夜9時からの「ゴールデン洋画劇場」枠でアカデミー賞の放送を行っており、ぼくもそれに参加できることになった。約1週間後れ(?)で、正味4時間以上の授賞式を1時間半ぐらいのダイジェスト版で放送、編集やら吹替え作業をやった。そこで見たのが作曲賞に輝いたヴァンゲリスであり、一度聴いたら忘れられない『炎のランナー』の映画音楽である。
『南極物語』の撮影は始まっていたが、音楽は決まっておらず、蔵原惟繕監督や貝山知弘プロデューサーらと、ヴァンゲリスの話題で大いに盛り上がる。続く『ブレードランナー』(1982)の音楽も手掛け、世界的に活躍する。そんなヴァンゲリスに『南極物語』の音楽をやってもらおう! との話になり、正直、この「邦画」に参加してもらうのはハードルが高すぎる相手と勝手に思っていた。
ギリシャ人であるヴァンゲリスはその頃はパリを拠点に活動していて、蔵原監督と貝山プロデューサーは「ラッシュプリント(撮影済)を持ってパリのスタジオに直談判に行こう!」となり、現地でどんな会話がなされたのかは定かではないが承諾を得て帰国した。『南極物語』はスケールの大きい作品だが、ヴァンゲリスの参加が決まり、よりパワーアップして「大作」になった。メインテーマを聴いた時の最初の感動は忘れられない。『炎のランナー』のアカデミー賞の放送から1年位しか経っていなかった。今はこの3人は鬼籍に入られた。
