山梨県の避暑地として有名な清里高原のテレフォンボックスで電話をかける松田聖子に、自転車で通りかかった田原俊彦(トシちゃん)がバッタリ出会い、一目惚れ。その後も偶然の出会いを重ねながら、いつしかデートをして一緒にチョコレートを食べる間柄に。まさに“Sweet Situation”。グリコアーモンドチョコレート・セシルチョコレートのコマーシャルである。まばゆいばかりの可愛らしいコマーシャルに、それぞれのファンはヤキモキした。なにしろ、当時のトップ・アイドル、田原俊彦と松田聖子がカップルを演じているのだ。大きな話題を呼んだ。バックに流れるのが、田原俊彦が歌う「ハッとして!Good」。コマーシャルの映像にピッタリのなんとも可愛らしい曲である。
田原俊彦がレコードデビューしたのは、1980年の6月21日。デビューシングルは、オリコンチャートで、71.9万枚という田原のシングル最大セールスを記録した「哀愁でいと(NEW YORK CITY NIGHTS)」で、レイフ・ギャレットのカバー曲だった。80年は、山口百恵が引退した年である。「ハッとして!Good」は、同年9月21日に田原俊彦の2枚目のシングルとしてリリースされた。作詞・作曲はクラシックのピアニストである宮下智、編曲は船山基紀が手がけている。まず、イントロのオールドジャズを思わせる軽快なメロディに惹かれた。ビッグバンドによるジャズサウンドにピアノのポップな演奏という船山のアレンジは、アイドルに夢中になる年齢をとうに過ぎた当時20代後半にさしかかっていた僕の心にも響いた。
田原自身初となるオリコン1位を初登場で獲得した曲でもある。初登場1位は、当時のオリコンチャートでも史上5曲目となる快挙と言える。もちろん、TBS「ザ・ベストテン」でも1位を獲得した。ちなみに、田原は「ザ・ベストテン」では最多出場記録を誇っている。この年の日本レコード大賞では、松田聖子、河合奈保子、岩崎良美、「帰ってこいよ」の松村和子らをおさえて、最優秀新人賞を受賞した。大賞は八代亜紀「雨の慕情」、最優秀歌唱賞は都はるみ「大阪しぐれ」という、そんな時代だった。都はるみは、新人賞、レコード大賞、最優秀歌唱賞の初の三冠受賞者となった。田原は、NHK紅白歌合戦にも松田聖子と共に初出場をはたし、86年まで7年連続出場している。
デビューと同時にトップ・アイドルとして、歌謡番組、バラエティ、ドラマなど毎日のようにテレビに出演し、歌手、司会、俳優など多方面で多才ぶりを発揮し、レコードも次々とヒットさせた。「恋=Do!(こいはドゥ)」「ブギ浮ぎI LOVE YOU」「キミに決定!」「悲しみ2(TOO)ヤング」「グッドラックLOVE」「君に薔薇薔薇…という感じ」「原宿キッス」「NINJIN娘」「誘惑スレスレ」「ピエロ」「シャワーな気分」「さらば・・夏」など、85年までにリリースしたすべてのレコードがチャートのベスト3に入っている。1位を獲得した曲も多い。紅白に出場しなくなってからも、88年の「抱きしめてTONIGHT」はオリコンチャート3位、89年の「こめんよ涙」は1位を獲得している。
田原俊彦は、失礼だが聴かせる歌手という評価は得ていないだろう。だが、キレのいいダンスで、見せるエンタテイナーとしての評価は高い。84年のロサンゼルスオリンピックの際、聖火リレーランナーの1人としてリトル・トーキョーを走ったが、現地報道では、〝日本のマイケル・ジャクソン〟と紹介されていた。
歌手デビューの前年の79年、田原俊彦はTBSドラマ「3年B組金八先生」の第1シリーズに、近藤真彦、野村義男と共に生徒役でレギュラー出演している。<たのきんトリオ>の愛称で親しまれた3人は、それぞれに、トシちゃん(田原)、ヨッちゃん(野村)、マッチ(近藤)と、親しみを込めて呼ばれ、多くのファンに支持された。TBSのバラエティ「たのきん全力投球!」は、80年10月から83年3月まで2年半にわたって放送された大ヒット番組だった。田原が80年に日本レコード大賞最優秀新人賞に輝いたのに続き、81年に近藤真彦が、83年には野村義男がメンバーの1人であるTHE GOOD-BYEが、いずれも最優秀新人賞に輝いている。ちなみに82年はシブがき隊で、ジャニーズ勢が席巻していた。
ドラマ「3年B組金八先生」シリーズには、後に大きく羽ばたくことになる多くの若手俳優たちが出演している。〝金八先生〟の生徒役というのも、若手の登龍門だったと言える。第1シリーズの杉田かおる、鶴見辰吾、小林聡美をはじめ、沖田浩之、岡本健一、風間俊介、亀梨和也、上戸彩、増田貴久、中尾明慶、濱田岳、高畑充希など、みんな「3年B組金八先生」の卒業生である。
「ハッとして!Good」は、田原俊彦だからこそ歌える曲であり、それに続く田原俊彦の個性が際立つ一連のヒット曲につながる、王道アイドル・トシちゃんの魅力が開花する弾みとなる曲として、僕の歌謡史の記憶に刻まれるとともに、大学時代にサークルの春と夏の合宿で、毎年訪れていた軽井沢のまぶしい景色と、一学年上の先輩の屈託のない笑顔に、これが青春だと感じていた、遠いあの日に僕を連れて行ってくれるのだ。僕にとって20代の青春メモリアル・ソングの一曲となっている。
文=渋村 徹 イラスト:山﨑杉夫